「大事故だ」と思って東京のデスクに電話をしたら…

――『日報隠蔽』『牙』『太陽の子』という大きな作品を完成させながら、その間で『沸騰大陸』につながる膨大なメモを残しつつ、新聞記者としての日常業務をこなす。これほどの活動をしていながら、特派員としてのアフリカ滞在はたったの3年、という点にも驚きます。

3年間、高校野球部員の「しごきノック」のように、全力でこっちに飛び込んでボールを取った後、すぐさま立ち上がって、今度はこっちに滑り込んでボールに飛びつくような日々を延々と繰り返していました(笑)。

ひたすら全力でアフリカ中を飛び回って、サバンナにテントを張って泊まったり、ジャングルの奥に入り込んだりして、自由に取材をしていたんです。

でも、アフリカ特派員の良いところって、そうした自由な動きをしていても、全然許されることなんです。当時はまだ、ほとんどの出張先で携帯電話の通話ができませんでしたし、東京からもあまりルーティーン的な記事の出稿を求められない。

――記事の出稿を求められない?

たとえばワシントンやニューヨークの特派員であれば、米大統領選や国連の記事など、日々大量に出稿が求められます。一方、アフリカ特派員はどんなに原稿を出しても、紙面に載らないことがほとんどなんです。

たとえば、あるとき、西アフリカで大雨が降り、川があふれそうになって数百人がガソリンスタンドに避難していたんですが、そのうちの一人が火がついたままの煙草をポイ捨てしたら、漏れ出ていたガソリンに引火して大爆発し、100人以上が犠牲になるという事故が起きた。「大事故だ」と思って東京のデスクに電話をしたら、「いや、いらないかな……」と。

それでも僕は3年間、各地を旅しながら、見たもの聞いたものを残らず拾って、せっせとメモを作り続けた。今回の「沸騰大陸」は、僕のその3年間の「旅行記」でもあるんです。

――そもそもアフリカへの最初の取材は、ご自身で会社に企画書を出して実現したと。もともとアフリカに、何か特別な思いがあったんでしょうか?

いや、最初はあまりありませんでした(笑)。もともと日本の安全保障に興味があって、最初に会社に出した企画書は自衛隊のPKOについてでした。アフリカに行きたいというよりは、PKOの現場を取材したかった。それで当時、自衛隊が派遣されていた南スーダンに出張で行ったんです。


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