とある小学校の話

貧しい地域に位置する、とある小学校。この地域は昔から学力が低く、親たちの中にも大学を卒業した人は少ない。そんな地域の期待を背負って新しくできたこの小学校は、従来の小学校とはだいぶ雰囲気が違う。

小学校といえども1秒たりとも無駄にしない、はりつめた雰囲気の中で授業が進められる。普通の学校と比べて授業時間が長く、授業日数が多いことも、共働きが多いこの地域で歓迎されている理由の一つだ。

この学校では結果が全てだ。常に生徒をテストして、数値化されたデータを管理職が管理、分析し、教員の評価と指導に反映している。カリキュラムはシンプルで、学力標準テストの対策を中心に組まれている。成果主義を徹底するこの学校では、成績次第で新米教員でも他の教員を指導できるようになる。

教員は、大学を出たてのエネルギッシュな若者が圧倒的に多い。長時間勤務に耐えられる体力だけでなく、夜中でも生徒からの相談に応えられる献身性が求められる。情熱的な教員が多い半面、過酷な労働環境による教員のバーンアウト(燃え尽き症候群)と離職率の高さが問題になっている。

この小学校のもう一つの特徴は、非常に静かで落ち着いた学習環境をつくっていることだ。その要因は二つある。一つは厳格な学習スタンダードを設けていることだ。話を聞いている時の手の位置、立ち方、うなずき方の他に、手を挙げる角度まで決められている。

生徒はお客様? 教員はサービス業?「お客様を教育しなければならない」というジレンマのもと失われてしまった教師たちの尊厳_3

型にはまらない子、落ち着きのない子はしだいに振り落とされていき、卒業時には学校が定めた規格に準じた子だけが残る。少しでも規律を守らない生徒には厳しい懲罰をくだす「ゼロトレランス」(大きな秩序の乱れを引き起こさないよう、どんなに些細な学校規律からの逸脱行動をも初期段階で許さない厳格な生徒指導方針)を用いた生徒指導方式で教員の権限を強め、若くて経験の浅い教員でもしっかりと子どもたちをコントロールできる仕組みになっているのだ*2

「この『とある小学校』、どこだと思いますか?」講演の時、私は聴衆にそう質問する。「大阪!」「東京!」「秋田!」さまざまな手が挙がる。首を横に振り続けた私が、「皆さん違います。実はこれ、ニューヨークの学校ですよ」と言うと、人々は決まって驚く。

しかし、これを日本の学校だと思うくらい、結果責任、学習スタンダード、ゼロトレランスなどによる締めつけが日本の教育現場でも珍しくなくなっている、ということだろう。