「教員はサービス業」

しかし今、「教員はサービス業」という認識が、教員の間でも普通になりつつある。

それを支えている新自由主義的な世界観は、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーの解釈を借りれば、社会のあらゆる活動や関係を経済的な価値観でのみ分析しようとする偏った世界観だ*1

それは、教育までをも「付加価値的な投資」と見なし、生徒・保護者を学費や納税で教育という「商品」を購入する「お客様」、教員を教育という「サービス」を提供するサービス労働者、教育委員会はクレームを受けつけるカスタマーサービスへと置き換えてしまう。

生徒はお客様? 教員はサービス業?「お客様を教育しなければならない」というジレンマのもと失われてしまった教師たちの尊厳_2

「教育委員会に訴えてやる!」そんな言葉を聞いたことのある人も少なくないだろう。教員が子どもの機嫌をとろうとするのも、生徒に対する強い指導が難しくなってきているのも当然だ。

そうして今日の教員は、自分のアイデンティティをも揺るがす厄介なジレンマを抱えることになる。それは「お客様を教育しなければならない」というものだ。この難解なジレンマを抱えた学校と教員は、失われた自らの尊厳をいかに取り戻せばよいのだろうか。