猶予時間を延長したIS

事態が動いたのは、1月27日だった。ISは捕らえた日本人ジャーナリストの映像をユーチューブに投稿し、その中で日本人ジャーナリストに「私の解放を妨げているのはヨルダン政府が死刑囚の引き渡しを遅らせているからだ」「私に残された時間は24時間しかない」と語らせることで、事実上の最後通告を日本とヨルダン政府に突きつけていた。

ヨルダン政府はすぐさま緊急記者会見を開いた。しかし、政府の担当相は「ISはまずヨルダン人パイロットが生存していることを示せ」「ISが解放を求める死刑囚はヨルダンにいる」と繰り返すだけで、ヨルダン政府が交渉のカードを何も持ちあわせていないことをさらけ出しただけのような会見になってしまった。

政府の対応に業を煮やしたヨルダン人パイロットの父親は日没後、市内の集会場で自ら記者会見を開いた。

カメラの前で「息子の安否だけでも教えてほしい」「政府はなんとしても息子を生きたまま取り戻してほしい」と懇願し、集会場の外では同郷の若者たちが政府に非難の声を上げていた。


ISの黒旗 写真/​​Shutterstockよりイメージ

ISの黒旗 写真/​​Shutterstockよりイメージ

翌日、IS側は猶予時間をさらに日没まで延長した。

私はパイロットの父親が待機する市内の集会場に張りつきながら、数百人の市民とともに事件の進展を見守った。パイロットの故郷であるヨルダン中部のカラクでは、故郷の若者の救出を求める市民の一部が暴徒化し、警察車両に向かって投石を始めていた。町のあちこちで炎が上がり、治安部隊が催涙弾で市民の鎮圧に乗り出していた。

そしてそこに、あの日本人ジャーナリストの凄惨な斬首映像が流れた。集会場の周囲からいくつもの悲鳴が上がり、それらはやがて絶叫へと変わっていった。

私はすぐさま現地対策本部が設置されている日本大使館へと急いだ。気温が零度を下回るなか、大使館前にはすでに多くの日本メディアが群がっていた。午前4時半に1度、大使館前で記者会見が設定されたが、それはなかなか開かれず、実際に日本の外務副大臣が大使館前に現れたのは午前7時半過ぎだった。

外務副大臣は苦悶の表情で拳を堅く握りしめたまま、肝心なことは何1つ発しない。取り巻く海外メディアが「日本政府はイスラム国と交渉できていたのか?」と何度質問を向けても、彼は事実をはぐらかし、追加の質問を無視してその場を立ち去った。

最悪の対応だ、とその状況を見て私は思った。質問を冷酷に無視することが、無言の回答になってしまっている。「日本政府はISと何一つ交渉できなかった」─海外メディアは日本の失態を外務副大臣の映像付きで報じるに違いない。