毒母の連鎖を乗り越える
過干渉で否定的な母親に育てられた蒼山さんは、自己肯定感の低さに苦しみ続けてきた。
「母は毒母だったと思いますが、母の母、私の祖母もそうだったので仕方なかったと思っています。熱が出たらお粥を作ってくれる、迎えにきてくれるなど、母なりに、母親らしいことをしてくれたことも覚えていますし、感謝もしています。
ただ、精神的に不安定な人なので、八つ当たりがヒドイときがあったり、私の話を信じてくれないなど傷つくことをたくさんされてきたから恨んでいる……という状態です」
現在、蒼山さんは4人の子どもを持つ母親だが、子育てしていて、「自分もお母さんのようになってしまった」と思うことはないのだろうか。
「2人目までの子育てでは思うことがよくありました。八つ当たりをしたり、暴言を吐いてしまったこともあります。人間関係がうまくいかず失敗ばかりでした」
しかし、「このままではいけない」と思った蒼山さんは、時間を見つけて子育てセミナーに参加したり、本を読んだりして学び始める。同時にブログを始め、ネット上でもたくさんの人と出会い、人との関わりの中で精神的に成長した。
「おかげで、母のように八つ当たりしてしまうことはなくなりました。夫の両親は心優しい人なので、夫の子どもへの接し方や考え方が、私に大きな影響を与えているとも思います。
30歳のときに転職し、33歳くらいの頃には金銭的に余裕ができたことで、家事代行など、お金で解決できることが増えたことも大きいと思います」
多くの人との関わりや仕事で自信が持てるようになったことが自己肯定感を高め、そのことが、子どもたちや夫のみならず、そのほかの人たちとの関係をさらによくしていく好循環が生まれたのだろう。
3度目の離婚危機以降、夫のモラハラはなくなり、夜に蒼山さんが仕事をしている間は、夫が子どもたちを見てくれている。
現在は、住宅ローンや保険、車にかかる費用、子どもの学校や保育園にかかる費用などは夫が払い、そのほかの食費、外食費、交際費、衣類や洗剤などの消耗品代は蒼山さんが払うことで夫婦円満だ。
「私には不登校になった小学校の半ば頃からずっと、自殺願望がありました。仕事や子育てがしんどいけど、どうにもならない。頼る相手がいない。
そんなときに『死ねたら楽になるのに』ということをよく考えていました。
33歳くらいの頃から仕事で自信が持てるようになると、『しんどいならやめればいい』『困ったときは誰かに助けてもらえばいい』と思えるようになって、不思議と助けてくれる人が現れたり、夫が家事育児に協力的になってくれたりして、自殺願望はなくなりました。
思春期には実行に移そうと考えたこともありましたが、居場所がなかったからだと思います」
過干渉な母親によって「家庭に居場所がない」と感じ、居場所を得るために必死にあがいてきた蒼山さんは、ようやく自分自身の力で“壁”を乗り越え、居場所を得ることができたようだ。
〈前編:『「流産したのは信心をしていないからだ」宗教にハマる毒母に苦しんだ30代女性の苦悩』〉
取材・文/旦木瑞穂