宗教のために生きている母親
関西地方在住の蒼山五月さん(仮名・30代)は、祖父の代から続く工場を継いだ父親と、公務員の母親のもとに、第二子として生まれた。両親はお見合い結婚だった。
「20代半ばで結婚して公務員の仕事を辞めた母は、父の工場で事務の仕事やお茶出しなどをしていたらしく、よく『私は仕事があるから、あなたのことは何もできない』と言われて育ちました。
しかし祖母に聞いた話では、母はほとんど仕事をせず、宗教関連の新聞や本を読んだり、仏壇に向かって拝んだり、仏壇のある部屋を掃除したり、昼寝をしたりしていたそうです」
父親の家は宗教を信仰していた。そのため母親は自分の両親に結婚を反対されたという。
それでも母親は反対を振り切って宗教に入信し、結婚。母親は両親から絶縁を言い渡された。
母親は誰よりも熱心に宗教活動に打ち込んでいた。
朝5時に起きて1時間ほど仏壇に向かって拝み、夜も1〜2時間ほど拝む。夕食のご飯を炊いたら、必ず一番最初に仏壇に供える。
週に1度は自宅で集会を開き、30人ほどが集まって、仏壇に向かって拝んだり、ビデオを見るなどの活動を行なっていた。
父親や同居していた父方の祖父母は何も言わなかったが、母親は4歳上の兄と蒼山さんに、幼い頃から宗教を強制。集会場に連れていかれたり、長々と話を聞かされたりした。
「父は母の言いなりでした。母に逆らえないから、お小遣いも月5000円しかもらっていなくて、何もできないように縛り付けられていました。
父は祖父の工場を大きくしたそうですが、家の中では1人では何もできないような人でした。世間体を気にして別れないのか、政略結婚だからと諦めているような……そんな夫婦だったと思います」
父親も祖父母も、母親には何も言わなかった。蒼山さんは、「1言うと100言い返されるのがわかっていたからだと思います」と言う。
母親はたびたびパニックのような症状を起こしたり、嘘をついたりするため、父親も祖父母もあまり関わらないようにしていたようだ。
そんな家庭で蒼山さんは明るい子に成長。しかし母親の過干渉が激しかった。
「母は宗教のために生きている人でした。私の友だちの家にまで電話をかけ、選挙や新聞の啓蒙。そのせいで『あの家の子とは遊ぶな』と言われていました。
また、『お菓子を食べるな』『コーラは飲むな』と行動を厳しく制限され、『拝みなさい。信心しないと不幸になる』などと脅されていました」
そんな母親に厳しく叱られたときは、祖父母に慰めてもらった。
「祖父母の温かさには救われました。特に祖母は、いつ、どんなときでも怒ることはなく、夜中だろうが早朝だろうが、わがままを聞いてくれました」