プロローグ ふたりのてづいっつぁん
漁船に飾られた「気仙沼漁師カレンダー」
漁師町である気仙沼には、ふたりの〝てづいっつぁん〟がいた。
2024年2月のことだ。てづいっつぁんとは、漁師である小野寺哲一 の地元での愛称である。同じ人間がふたり同時に存在するなんて奇妙な話だが、気仙沼のあるところ限定で、たしかに、てづいっつぁんがふたりいるのだ。
そのことに気づいたのは、後輩漁師の山崎風雅だった。
1958年生まれ、漁師歴40年の小野寺は、『気仙沼漁師カレンダー2024』を自分の船「第53長栄丸」に飾っていた。
ふたりにとっての職場に飾られたカレンダーは、見開きB3判の大きさで、その1ページに大きく写真が掲載されているのが特徴だった。
船に飾られたカレンダーの1月の写真では、大きなメカジキを抱える3人の漁師が笑っていて、「気仙沼らしくていいなぁ」と山崎も感じていた。
ところが、2月になると何度も笑いをこらえないといけない瞬間が増える。
2月の海の男が、いままさに目の前で魚を追いかけている、てづいっつぁんその人だったからだ。
「第53長栄丸」の前に立ち、手には高級魚のサヨリをやさしく持ちながら、「船とは?」との問いに「宝物だっちゃ」と答えている。
山崎は、本人には言えない言葉を心の中でつぶやくしかない。
「てづいっつぁんがふたりいるよ。本物とカレンダーのてづいっつぁんが」
尊敬する先輩を笑ってはいけない。でも、リアルてづいっつぁんとカレンダーのてづいっつぁんのコラボレーションは、同じ船に乗って仕事をするその後輩だけが見ることができる、自然と口角が上がる風景だった。
「東京都写真美術館」図書室にも異例の蔵書
「第53長栄丸」の例は稀だとしても、『気仙沼漁師カレンダー』はこの町に溶け込んでいる。
町の居酒屋やラーメン屋や喫茶店には当たり前のように飾られているし、病院の待合室の壁に貼られて患者たちの視線を集めていたりもする。
それらのカレンダーは、もらいものではなく、店主や病院が購入したものだった。『気仙沼漁師カレンダー』を購入することで応援していた最大の支持層は、気仙沼の人々だった。
気仙沼だけではない。全国にもファンが存在し、暦としての役割だけでなく、写真集のような楽しみ方をしている人が多い。
2024年5月、東京・表参道の青山ブックセンターでは、書店員推しの写真集コーナーで『気仙沼漁師カレンダー2024』が、ど真ん中に陳列されていた。
さらに、東京・恵比寿の「東京都写真美術館」図書室には、全10作分の『気仙沼漁師カレンダー』が蔵書されており、自由に閲覧ができる。同図書室ではカレンダーの蔵書は異例なことであるにもかかわらずである。
なぜ、全国のファンは、写真集のようにこのカレンダーを楽しみ、「東京都写真美術館」にはカレンダーにもかかわらず蔵書されているのか。
それは、歴代の撮影担当者が、日本を代表する写真家たちだったからだ。
2014年版 藤井 保
2016年版 浅田政志
2017年版 川島小鳥
2018年版 竹沢うるま
2019年版 奥山由之
2020年版 前 康輔
2021年版 幡野広志
2022年版 市橋織江
2023年版 公文健太郎
2024年版 瀧本幹也
威風堂々という言葉が似合う、歴代10人の写真家たち。
その経歴を紐解いてみると、写真界の芥川賞と称される木村伊兵衛写真賞をはじめとして、日本写真協会賞作家賞、講談社出版文化賞写真賞、カンヌライオンズGOLD、ニューヨークADC賞GOLDなどの受賞者がひしめいている。
そして、彼らが手がけた『気仙沼漁師カレンダー』もまた、日本国内における「全国カレンダー展」で最高位の経済産業大臣賞を4度も獲得。さらに、その評価は海を越えて、欧州最大のカレンダー展である「グレゴール・カレンダー・アワード」でのBRONZEを受賞している。