「斎藤陣営は素人集団だった」
前期の知事時代のパワハラや公金不正支出疑惑を背景に、兵庫県議会議員86人全員一致による不信任決議案の可決を受け失職と出直し選出馬を選択した斎藤氏は、失職から数時間後の9月30日早朝、JR須磨駅前で駅立ちを開始した。「一人ぼっちのスタート」をアピールして支持者を増やし、再選にこぎつけた。
だが、11月27日に記者会見した斎藤氏の代理人の奥見司弁護士によると、斎藤氏は駅立ち開始前日の9月29日に選挙参謀の男性を伴い、兵庫県西宮市のPR会社「merchu」を訪問している。
同社の代表取締役・折田楓氏(33)が公開したnoteによれば、斎藤氏はこの場で知事選でのSNS戦略について折田氏からプレゼンを受けている。
折田氏が公表したプレゼン資料では、10月1日から選挙当日の11月17日までが3つの期に分けられ、それぞれ「種まき」「育成」「収穫」との「SNS運用フェーズ」が設定されている。
「陣営は、プレゼンの翌朝から始まった斎藤氏の駅立ちをSNSで盛んに宣伝しました。要するに9月30日に駅立ちを始めた時から斎藤氏は『一人ぼっち』などではなく、駅立ち自体が“種まき”の一環だった可能性があります」(地元記者)
斎藤氏の当選は果たして折田氏が提案した“耕作”大作戦が奏功したものなのか。そして選挙後にもこのように重大疑惑で県の混乱が続くのはなぜなのか。斎藤氏が展開した選挙戦を振り返ってみたい。
「斎藤さんの選挙事務所は本当に素人集団でした」
こう話すのは、自身は幹部ではないとしながらもスタッフとして選挙を戦ったというCさん。完全匿名を条件に集英社オンラインの取材に応じた。
「私には見えていない部分も多くありますが…」
と前置きしたCさんだが、その証言は興味深い。
「斎藤さんの街頭演説のスケジュールを全部組んでいたのは、斎藤さんの中高時代の同級生で親友と言われたDさんです。他に、選挙初期は斎藤さんの弟さんもよく動いておられました。でも、責任者と言える人が誰もいなくて、各自がバラバラに得意分野をやっているという印象でした」