〈後編〉

「同級生とは、やっぱり話が合わなくて……」

――デビュー16年目を迎えた大江さんですが、そもそも演歌歌手を目指したきっかけは何だったのでしょう?

大江裕(以下、同) 僕は母子家庭で育ったんです。だから、母親だけでなく、祖父母にもすごく可愛がってもらったんです。

祖父はもともと演歌歌手を目指していた人で、一緒にカラオケに行くと、必ず演歌を聞かせてくれました。そうしているうちに、だんだんと演歌が好きになっていたんです。

僕としては、とにかく祖父が目指していた夢を叶えてあげたいなと、そう思いつつも、祖父は鹿児島県出身の九州男児で頑固な部分もあり、だから、偉そうなことは言えずにおりました。

――最初に好きになった歌手の方や、特に好きだった曲はありますか?

やはり北島三郎先生ですね。というのも、祖父が北島先生世代なので「北島三郎の歌を歌ったら、お前は一人前になれる」とずっと言われて育ちました。

それで僕も歌ってはみたのですが、声変わりする前なので、やっぱりすごく難しい。だから当時は、美空ひばりさん、中村美津子さん、天童よしみさんなどの曲を聴いて、歌っていました。

デビュー16周年の大江裕氏
デビュー16周年の大江裕氏
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――大江さんは、どんな子どもだったのでしょう。

幼少期から、年上と遊びたいという気持ちが常にありましたね。実際、小学生のときは地元(大阪・岸和田)の中学生と遊んでいましたし。

なぜかというと、演歌を聴いて育ったので、やっぱり同級生とは話が合わないんですよ。愛だの、恋だの、相引きだの……今は相引きとはなかなか言わないですね(笑)。演歌を通して、そういう大人の感情に触れてきたので。

――年上の友だちとは、何をして遊んでいたんですか?

当時僕は先輩カップルばかりと遊んでいたのですが、カラオケにはよく行っていましたね。僕は先輩たちから「ゆう(裕)ちゃん」と呼ばれていたのですが、「ゆうちゃん、一緒にカラオケ行かない? 演歌聞かせてよ」と。

彼らからすると、珍しかったのでしょうね。そのとき先輩たちは宇多田ヒカルさんや浜崎あゆみさん、安室奈美恵さんなど、流行りの曲を歌うんですが、僕はもっぱら演歌ばかりでした。

パニック障害を発症し、一時は歌うこともできず…そんな大江裕の背中を押した師匠・北島三郎の言葉〈サブちゃん、さんま、安住アナ…3人の師匠に育てられた演歌道〉_2

――演歌以外のジャンルの楽曲で、好きだったものはありますか?

それが、ポップスなどは本当に聴いてこなかったんですよ。テレビを見るにしても、たとえばNHKの演歌番組ばかり。

正直「ほかのジャンルの楽曲も歌えたらいいのかもな」と思っていたのですが、友だちではなく、とにかくおじいちゃんを喜ばせたかった。だから、演歌しか聴いてきませんでした。

――ちなみに、学業のほうは?

はっきり言って、勉強はできないほうでしたね。中学1年生のとき、当時の数学の先生が私のほうに寄ってきて「ゆうちゃんは、勉強しなくていい。好きなことがあるんでしょう。友だちを見てごらん。それがわからなくて、いろいろなことにチャレンジしている。

でも、ゆうちゃんは小さなときから、演歌だけを見て走り続けてきた。勉強するのなら、歌の勉強をしなさい」と言ってくれたんです。その言葉に、私はビビッときて、演歌の道を極めようと考えたんです。

――キャリアを決める重要な出会いだった、と。

そういう先生は、ほかにはいませんでしたから。やっぱり「勉強しなさい」「周りとズレてはいけない」とおっしゃる方が多かったので。

その数学の先生の言葉に支えられて、今もこの道を歩き続けられているのかなと思っています。