鮮烈なデビュー飾るも本心は「一発屋になると思っていた」

――朝井さんはいつから小説家になりたいと思われてたんですか。

朝井リョウ(以下、同) 子どもの頃、3歳上の姉の真似事をよくしていたんですが、姉が自由帳に動物の物語を書くみたいなことをしていて、それも真似するようになったんですね。その作業がすごく楽しくて。

それを小学校、中学校とずっと続けていると、周りの同級生より作文を書くのが早かったり、文章を褒められる機会が増えたり、どんどん自分のアイデンティティになっていったんです。

「クラスで劇やります!」ってときも、「あの子、書くの得意だったよね」みたいに、自然とそういう話が回ってくるようになって、文章の読み書きが好きだということが自分の存在感に直結している感覚がありました。そのうち長いものを書くようになって、投稿を続けて、小説すばる新人賞に拾っていただけました。

――小学6年生のときに初めて小説の投稿をされたんですよね。

そうですね。小3ぐらいでうちにパソコンが来て、タイピングを覚えて、ワープロソフト「一太郎」とフロッピーディスクを使うことで投稿用の原稿用紙100~200枚くらいの原稿を書けるようになりました。小学生の手書きを投稿するわけにもいかないので。

ちょうどインターネット黎明期で、小説を投稿する掲示板が登場し始めたころでした。そこに短い小説を投稿したりすると、知らない人が感想を書いてくれるのがすごくうれしくて、その延長線上で投稿していましたね。誰かに読んでもらいたかったんです。

――その流れで、早稲田大学在学中に書いて投稿した『桐島』がデビュー作になったという…。

それまで一次選考を通ったことが一度あるだけだったので、寝耳に水でした。

それだけでも奇跡なのに、デビュー作がたくさんの人に届くという、宝くじが当たるような、ものすごい幸運にも恵まれました。とても高い下駄を最初に履かせていただきました。映画の影響も本当に大きくて、『桐島』はあの素晴らしい映像化のおかげで本当に多くの人にタイトルを知っていただきました。それから1年以内に『何者』(新潮社)で直木賞をいただいて、「もう運全部使い果たしただろ!」って思ってました。

一発屋になるんじゃないか、いや一発屋になれるだけですごいだろみたいに先回りして自分を慰めていたので、デビュー15周年を迎えられたことに本当にびっくりしています。ものすごい幸運の持ち主だと思います。

デビュー作『桐島、部活やめるってよ』
デビュー作『桐島、部活やめるってよ』