「想定内」ではない
子どもたちのこと

須賀川 三浦さんはご自身で撮影もされますね。カバーを始め、本書にも多くの目を見張る写真が収録されています。取材先での撮影の際、思い通りの絵を撮ることは難しくありませんか? 特に子どもたちはカメラを構えるとすぐに寄ってきますよね。

三浦 僕が行ったウガンダの難民キャンプには、八〇〇〇人の子どもがいたんです。全員が孤児で、目の前で両親を虐殺されたり、家族をレイプされたりした子どもばかりです。新聞記者としては、涙を流して悲しむ彼らを撮りに行くのですが、カメラを向けるとみんな、めっちゃ笑顔(笑)。アフリカでは、口に出すのもはばかられるような、むごい話も多いのに、「私の話も聞いて」「僕の話も聞いて」と、にこにこしながら寄ってくる。

 

須賀川 難民キャンプの子どもでも美味しいものを食べれば笑うし、楽しいことがあれば喜びます。まして外国人が行けば子どもたちは好奇心から寄ってきますね。これまでメディアは難民の悲しむ顔だけを切り取ってきましたが、SNSが発達した今は、それが欺瞞 ( ぎまん ) であることはバレてしまっている。今の時代のメディアの役割は、ありのままをちゃんと伝えることなんじゃないかと思います。

三浦 映画の中で、須賀川さんはイスラム国戦闘員の妻と子どもが収容されているキャンプを訪ねていますよね。しかし、そこでは子どもたちは(須賀川さんから)遠くへと離れていき、子どもの一人が、須賀川さんに「お前の首を斬って殺してやる」と言い放つ。その時カメラは、その子どもの顔を真正面からとらえている。そんな現実を、僕は見たことがなかった。全然「想定内」じゃない。心がザラつきました。

 

須賀川 この子どもたちに未来はあるのかな、と感じてしまいます。

三浦 僕は、本の中でも書きましたが、 ( ) ( にえ ) として生き埋めにされそうになり、直前で救出された子どもたちを保護しているシェルターに行ったんですよ。その時、シェルターのスタッフは、わざわざ子どもたちにプールで水遊びをさせて、そこに僕たちを呼んだ。

須賀川 なんでプールだったんですか?

三浦 頭や背中を ( なた ) で斬られた子どももいたし、足のない子どももいました。裸になっているので、傷痕が見える。シェルターとしては、日本のメディアに問題を取り上げてほしいし、実際、僕も写真を撮りました。しかし、僕も裸になってプールに入って一緒に遊んだ時、実は苦しくて仕方がなかった。こうして一緒に遊んでみたところで、何かの罪滅ぼしになるわけじゃない。自分が正しいことをしているか、問われているような気がして、いたたまれなくなりました。

銃弾一発ですべてが変わる

三浦 僕は本書でアフリカにおける無数の「生」と「死」を取り上げましたが、それは命には限りがあることを伝えたかったからです。紛争や病気、事故などで、命はある日、突然消えてしまう。僕がこれまで取材した現場で、満足して死んだ人は一人もいません。皆、悔いを残して死んでいく。「死」に向き合うことで、人は初めて「生」について考えられる。様々な死に触れ、僕自身は一生懸命生きて、一つでも多くの良い記事や良い作品を世の中に送り出したい。そして、自分が関わる人には、できる限り優しくありたい。

須賀川 本を読んでいて、三浦さんの優しさを随所に感じました。怒りとか絶望がありますが、その根底に優しさがある。
 三浦さんが重度障害のある双生児の写真を撮ろうとした話がありました。その時、お金を要求されて、その取材を打ち切りますよね。これは一つの優しさだと感じました。僕も、お金を要求されることは少なくありませんが、僕は違った判断をしたかもしれません。

 

三浦 そこには答えがありませんよね。

須賀川 本書の後半で、PKO(国連平和維持活動)で自衛隊が南スーダンに派遣された時の話も書かれています。

三浦 あの時、僕は「大スクープ」をものにしました。現地が危険な状況になる中、隊長の判断で、隊員に射撃許可が出されていた。隊長は隊員を守るために、この件を僕に話してくれたのだと思います。でも日本政府は、これを契機に海外での武器使用を条件付きで認める安保法制を通そうとした。僕の記事は、結果的にその流れを後押しすることにつながった。「事実」は常に、政治に利用される危険性を内包しているのです。

須賀川 その時の三浦さんの葛藤は想像に余りあります。

 

三浦 とはいえ、僕は事実を隠すことを良しとしませんでした。書かないという選択肢は僕にはなかった。それから数年後に自衛隊は撤退しましたが、派遣が続けば、隊員が殺されていたかもしれないし、逆に誰かを撃っていたかもしれない。

須賀川 一発撃てば終わり。すべてが変わります。

三浦 そうです。一発撃てば、これまで戦後の日本が築いてきたすべてが崩れる。アフリカに行くと、皆、日本に対しては好意的です。その背景には、日本は戦争をしないと決めた特殊な憲法を持つ「平和国家」としてのイメージが強くある。

須賀川 中東でも同じです。それは現場に行かなければ分かりませんね。憲法九条があるからかもしれないし、外交が積み上げてきたものかもしれないし、トヨタやソニーの製品のおかげかもしれない。複合的に要因が重なってはいますが、日本は戦後八〇年、事実として海外で弾を撃っていません。とはいえこれは、一発の銃弾が放たれただけで変わってしまう。

 

三浦 「戦争をしない国」というイメージに対する信頼感が凄まじく厚いということを、我々のような記者は海外取材で身に染みていますね。

須賀川 現場にいる人間にしか分からないこうした実感を伝えていかなければならないと感じます。

三浦 今日はアフリカの話をたくさんしましたが、実際に取材してみると、日本とアフリカは随分違うようでいて、それほど違わないのかもしれないと感じることが多いのです。一人ひとりの人間として、深く通じ合うところがある。本書に描いた、遠くて近い「アフリカ」を通して、「生」とは何か、「死」とは何か、その上で、我々が絶えず追い求めている、人生における「豊かさ」とは一体何なのかについて、考えるきっかけにしてもらえたら嬉しいですね。

沸騰大陸
三浦 英之
沸騰大陸
2024年10月25日発売
2,090円(税込)
四六判/224ページ
ISBN: 978-4-08-781760-7

「生け贄」として埋められる子ども。
78歳の老人に嫁がされた9歳の少女。
銃撃を逃れて毒ナタを振るう少年。
新聞社の特派員としてアフリカの最深部に迫った著者の手元には、生々しさゆえにお蔵入りとなった膨大な取材メモが残された。驚くべき事実の数々から厳選した34編を収録。
ノンフィクション賞を次々と受賞した気鋭のルポライターが、閉塞感に包まれた現代日本に問う、むき出しの「生」と「死」の物語。
心を揺さぶるルポ・エッセイの新境地!

目次

はじめに 沸騰大陸を旅する前に

第一章 若者たちのリアル
傍観者になった日――エジプト
タマネギと換気扇――エジプト
リードダンスの夜――スワジランド
元少年兵たちのクリスマス――中央アフリカ
九歳の花嫁――ケニア
牛跳びの少年――エチオピア
自爆ベルトの少女――ナイジェリア
生け贄――ウガンダ
美しき人々――ナミビア
電気のない村――レソト

第二章 ウソと真実
ノーベル賞なんていらない――コンゴ
隣人を殺した理由――ルワンダ
ガリッサ大学襲撃事件――ケニア
宝島――ケニア・ウガンダ
マンデラの「誤算」――南アフリカ
結合性双生児――ウガンダ
白人だけの町――南アフリカ
エボラ――リベリア
「ヒーロー」が駆け抜けた風景――南アフリカ

第三章 神々の大地
悲しみの森――マダガスカル
養殖ライオンの夢――南アフリカ
呼吸する大地――南アフリカ・ケニア
「アフリカの天井」で起きていること――エチオピア
強制移住の「楽園」――セーシェル・モーリシャス
魅惑のインジェラ――エチオピア
モスクを造る――マリ
裸足の歌姫――カーボベルデ
アフリカ最後の「植民地」――アルジェリア・西サハラ

第四章 日本とアフリカ
日本人ジャーナリストが殺害された日――ヨルダン
ウガンダの父――ウガンダ
自衛隊は撃てるのか――南スーダン
世界で一番美しい星空――ナミビア
戦場に残った日本人――南スーダン
星の王子さまを訪ねて――モロッコ

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