保守派は日本贔屓?
「トランプ前大統領を支持しているような保守派は人種差別的だ」という批判は正しいのか。少なくとも、一連の取材で出会ったトランプ支持者たちは、彼らとはさまざまな意味で異なるグループに属する筆者の本質的な価値観(コア・バリュー)について、大いに関心を持っていた。
少々好戦的な表現を使えば、その人の価値観について説明を聞き、敵か味方か判断させてもらうということなのだろう。彼らは、アメリカ国内では、プログレッシブやリベラルに属する人々との対話は拒否する。
外国に目を向けてみると、彼らが共産主義あるいは全体主義などと忌み嫌う国、例えば中国の人々との対話にも、基本的には後ろ向きだろう。
一方で、アメリカの保守派と価値観を共有しているかもしれないと期待できる日本人とは、対話を行い、共感しあうことを求める傾向があるように思える。
なぜ、こんなことを書くのか。それは、保守派の集会に出ていると、「日本礼賛」に遭遇することがしばしばあるからだ。仮に、彼らが100パーセント人種差別主義者だったら、日本人は敵になるが、これまでの取材で、日本人や日本を蔑むような表現は聞いたことがない。
アメリカの保守派政治コメンテーターのタッカー・カールソン氏も、筆者がそれまでに会ってきた保守派の人たちと同じような感覚を持っているようだ。スピーチの中で、中国はプラスチックゴミで町が汚れているという趣旨の話をした後、日本に言及した。
「もし、何かが美しかったとしたら、それは何を意味するのでしょうか。美は文化を超越します。日本に行ったとします。あなたは、日本語をしゃべらないでしょうし、神道についても多くを知らないでしょう。
しかし、神社に行って最初に気付くのは、美しいということです。500年前の日本の人々は、どのようにして、この建築物を思いついたのでしょうか。あらゆる美は同じなのです。美とは真実です。真実は美しいのです。それは見せかけではなく、本当のことなのです。最上の美しさには実態があるのです」