早すぎた父の死
グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングの父は、ジャズ・ミュージシャンだった。しかし、音楽では暮らしが成り立たなくて、トラックのドライバーとして家族を養っていた。
6人兄弟の末っ子だったビリーは、幼い頃から歌の才能を発揮したので、父から音楽の手ほどきを受けていた。そんな父が食道ガンと宣告されたのは、1983年4月のことだった。
そこから夏の闘病生活を経ても回復はかなわず、秋を迎えた9月10日に亡くなってしまう。11歳になっていたビリー少年はベッドで毛布をかぶって、母親に泣きながらこう言ったという。
「9月が終わったら、起こして」
ビリーは父を失くした悲しみのなかで、母が再婚した相手(継父)に馴染めないまま、ひたすら音楽に没頭していく……。
サンフランシスコの対岸・イーストベイに住む仲間たちとパンク・バンドを始めたビリーは、グリーン・デイのヴォーカルとして、地元のマイナー・レーベルからアルバムを出した。それが1990年のことで、父の死からすでに7年の歳月が過ぎていた。
R.E.M.、ソニック・ユース、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、そしてニルヴァーナらが切り拓いた、1990年代の米国オルタナティヴ・ロックの隆盛は、グリーン・デイらのポップ・パンク勢も押し上げた。
そして初のメジャー作品として、1994年に発表されたアルバム『ドゥーキー』(Dookie)は、カレッジ・チャートで支持されてヒット。やがて総合チャートを駆け上がり、全米だけで1000万枚を越すビッグセールスを記録する。
その後は1995年の『インソムニアック』(Insomniac)、1997年の『ニムロッド』(Nimrod)、2000年の『ウォーニング』(Warning)と、グリーン・デイは確実にヒット・アルバムをリリース。キャリアを重ねながら、王道のロック・バンドへと成長を遂げようとする。
それを象徴したのが、2004年9月にリリースされた『アメリカン・イディオット』(American Idiot)だった。