フェミニズムと弱者男性の食い合わせの悪さ
女性の人権拡大のため、活動する「フェミニズム」だが、フェミニズムには他の学問や活動と同じく歴史がある。ここでは、おおまかに4種に分けて説明する。
「第一波」
フェミニズムの起源はフランス革命にまで遡る。1789年、フランス人権宣言が採択されたが、この中でいう人間とは男性のことを指していた。男性にのみ権利が与えられることに反発し、女性の権利を求める運動が広がったのがフェミニズムの始まりとされる。
1792年にはメアリ・ウルストンクラフトが『女性の権利の擁護』を出版し、男に養ってもらうための結婚は、売春の一種だと主張した。一度は専業主婦の増加に伴って下火になるも、1960年に復活した。
「ラディカル」
アメリカでリベラルが人種差別撤廃を訴えるなか、男女差別には甘かった失望からラディカル・フェミニズムが誕生する。そして、「あらゆる権力へのアクセスは男性が支配している」「性的な作品(ポルノ)の被写体になることや、ポルノを見ることでも女性は搾取される」と主張した。また、恋愛至上主義を批判し、異性との恋愛や結婚、家庭といったものを女性抑圧の元凶としつつ、組織内でも意見が割れるなど問題も起こった。
「第二波」
西欧ではシモーヌ・ド・ボーヴォワールによる『第二の性』、アメリカではベティ・フリーダンによる『新しい女の創造』といった書籍の影響から、第二派フェミニズムが生まれた。男女は生まれながらに異なり、男性と女性はそれぞれ違う道を認めるべきだとした。
また、女性はケアの役割を持っており、軍隊などで戦争に参加する必要はないと説いた。
「第三波」
第二派を受け継ぐ形で、1990年代はじめにアメリカで生まれた運動であり、2020年代には第四派にまで進んでいる。人種、LGBTQ+、障害など、多数の要素が人を抑圧するのであって、男性vs女性のシンプルな構造で社会は決まらないと説いた。第二波はセックスを拒否する権利を述べたが、第三波は「セックスをしたいという権利」も述べた。
これら、大きく4つのフェミニズムを並べてみると、男性と対立しやすいのは主にラディカル・フェミニズムだとわかる。特に、日本はAVをはじめとして、ポルノコンテンツの市場規模が大きい。そのため、ラディカル・フェミニストと対立しやすいのである。また、第二波フェミニズムも、男性から見たときに「都合がいい」と言いたくなるだろう。3K労働からは守られつつも、平等な地位を求めるからだ。
筆者は第三波のフェミニストだったが、同時に男性向けアダルトゲームのオタクでもある。そうなると、「ラディカル」や「第二波」から見て、筆者は男性権力に屈した側に見えるだろう。
一方で、筆者から見ると「この国の性犯罪の少なさを考えたとき、ポルノと性犯罪の件数に相関があるとは思えない。たとえば、私がリョナ(女性を拷問するシチュエーション)のゲームをやったからといって、私が公園の児童をリョナりたいと思うわけがない。
だとしたら、『ONE PIECE』のファンは暴力で物事を解決するだろうし、『島耕作シリーズ』が好きなファンは、みな不倫することになってしまう。そんなことが、あってたまるものか」と思ってしまう。
特に現実女性を加害することもなく、二次元コンテンツを好きでいる男性にとって、それらが女性搾取だと言われることは、心外でしかないだろう。
ときに、ラディカル・フェミニストは二次元のコンテンツを性的搾取だと捉え、それに対して男性が反発する姿が見られた。
その結果、オタク男性=アンチ・フェミニスト=女性嫌悪である、といった思い込みを生んでいるのではないだろうか。実際には、ラディカル・フェミニストからの攻撃にはうんざりしつつも、「女性全体を嫌いになることなんてないよ」と言う弱者男性が大半であろう。
しかし、フェミニストへのイメージは悪化するため、「第三波」が、弱者男性とフェミニストは連帯できると言っても、説得力が生まれなくなってしまったのである。