完全なオフは年に2回
──女子プロレスラーを労働者として見たとき、明らかな過重労働を思わせる場面がありますが……。
よくも悪くも“昭和という時代”を象徴するような話ですよね。ほとんどの人が中学を卒業してすぐに入門するから、「世の中ってこういうものだ」と思って、がむしゃらにやっていた側面もあるでしょう。
それから、当時は全女(全日本女子プロレス)しかプロレスをやる場所はないので、やりたかったら食らいつくしかなかったんですよね。
私個人でいえば、年に2日程度しか完全なオフはなかったと記憶しています。おそらくほとんどのレスラーがそうだったと思います。
──本編でも描かれていますが、地方巡業が多いからこそレスラーとしての仕事も幅が広がったのでしょうか?
そうですね。興行には、その地方ごとに“顔役”みたいなプロモーターたちがいて、接待をしてくださるんですね。
顔役の方々はみなさん羽振りがいいので、「これを飲んだら〇十万やるぞ」なんていって。「1日のプロレスの収入より高いじゃん」とか内心思いました(笑)。
実は全然お酒が強くなかったのですが、吐きながら飲むうちにどんどん飲めるようになって、最終的に720mLの焼酎を3本空ける酒豪になっていました。
ただ、当時はあまり意識したことはなかったけど、健康は大切ですね。2020年に肝硬変で入院して以来、そのことは痛切に感じます。
──『極悪女王』にも、ダンプさんが宣伝カーを運転するなど、レスラーも駆り出されていろいろな仕事をする場面が描かれていますね。
ダンプさんの全てにおいてひたむきな姿勢をみてきたからこそ、会社もヒールを束ねる役目を任せたのだと思います。
これまでベビーフェイスの引き立て役とみられていたヒールの地位を向上させ、世間から本気で憎まれて社会現象になるほどの旋風を巻き起こしたことは、ダンプさんの疑いようのない功績ですから。
〈後編〉ダンプ松本を1番近くで見てきた、ブル中野が抱いた『極悪女王』その後の葛藤に続く
取材・文/黒島暁生 撮影/杉山慶伍