「本当はコミュニケーションが上手なんですよ」の一言に救われた
いつものことだが、宴会は誘われると嬉しいが、終わってみるとずっしりと重たい倦怠感しか残らない。
ただでさえ仕事がなくて困っているのに、前述の通り発達障害のせいで仕事関係の知人も遠ざけてしまった。
将来について悩んだり心配したりするのに疲れ果て、いっそのこと……と思い始めていた。
窮地を救ってくれたのは、先輩ジャーナリストが紹介してくれた発達障害当事者の男性だった。
彼はまだ30代半ばで、大学卒業後、企業に就職したが職場に馴染めず鬱になり長期通院したのち、発達障害の診断を受け仕事を辞めたという。
今は実家に暮らし発達障害当事者のためのボランティア活動に専念している。僕は自然に彼を頼るようになり、時々、会ったり電話で会話するようになった。
「私は多くの当事者を知っているけど、当事者であっても自分とまったく同じという人は知りません。みんなそれぞれ違うから、自分なりに生きるしかありません」
彼は物静かで、どちらかという無愛想なタイプだ。年齢も親子ほど離れていてバックグラウンドもまるで異なるのに、一緒にいると妙な安心感があった。
それは、お互いに違っていて当たり前という感覚を共有しているからだと、すぐに気づいた。
人と会うと異様に疲れるのだと告げると「やっぱりそうですか、過敏なのはASD傾向が強いからですね」と言ってくれた。
「でも、自分の特性を理解することで、それを抱えて生きなければいけないと思うようになれます。会話が途切れても気にしなければいいじゃないですか。もっと自分を楽しませた方がいいですよ」
さらに、「弱みの裏返しは強みなんですよ。人と話して気疲れするということは、桑原さんは話しやすい相手ということなんですよ。本当はコミュニケーションが上手なんですよ」と励ましてくれた。
彼の言葉で、澱みきった心に光が差す思いがした。これからは苦手なことを克服する努力よりも、自分らしくあることを優先しよう。
素の自分を出さなければ、きっと真の信頼関係は誰とも築けないはずだ。もうすぐ還暦だという冬の夜、彼と電話しながら漠然とそんなことを考えていた。
〈前編はこちら『まさか自分が58歳になって発達障害診断を受けるとは…「ただの金がない中年男なのになぜ…」失意のどん底で20年来の友人に言われた「ラッキーじゃん」の言葉に救われたワケ』〉
文/桑原カズヒサ