発達障害診断より辛かったことは…
胸の中心を刃物で抉られるような痛みが走る。目を開くと窓から朝日が差し込んでいる。
2024年の前半は、いつもこんなふうに目覚めていた。
コロナ禍でレギュラーの仕事を失った矢先に、大学病院でまさかの発達障害宣告を受けた。予想外のことが立て続けに起こり途方に暮れた。
しかもそのとき、僕はすでに還暦間近の58歳。
今年になっても経済状況は改善しなかった。体調も悪化の一途を辿り、心因性胸痛に悩まされる日々が続いていた。
この間、いちばん辛かったのは診断結果を告げた友だちが次々と音信不通になったことだ。
大学の同級生の中で唯一連絡を取り合っていた、出版社勤務の友人に相談を持ちかけると「こちらも毎日忙しく疲れています(中略)はっきり言って連絡もらうのは迷惑です」というメールが届いた。
頭の中が真っ白になった。彼は僕のいちばん古い友だちだったのだ。
他にもふたり、過去には一緒に野球観戦したり、英会話教室に通ったりしたことのある友だちとも連絡がとれなくなった。
僕はもともと友だちが少ない。彼らはそんな僕が、最も頼りにしていた人々でもあった。
皆、中年の男性サラリーマンだった。彼らが去っていき、仕事とは無関係に知り合ったプライベートの友人はゼロになった。
それは発達障害の診断より辛いことであり、ただただ途方に暮れるしかなかった。