平安時代、貧乏な女は結婚できない
以上は、江戸時代と室町時代の、貧乏ゆえに結婚が遅れた男たちの話ですが、平安時代の文学には、貧乏ゆえになかなか結婚できない女たちが数多く描かれています。
『源氏物語』より少し前に書かれた『うつほ物語』には、「今の世の男は、まず女と結婚しようとする際、とにもかくにも両親は揃っているか、家土地はあるか、洗濯や繕いをしてくれるか、供の者に物をくれ、馬や牛は揃っているかと尋ねる」(〝今の世の男は、まづ人を得むとては、ともかくも、『父母はありや、家所(いへどころ)はありや、洗(あら)はひ、綻(ほころ)びはしつべしや、供の人にものはくれ、馬、牛は飼ひてむや』と問ひ聞く〞)(「嵯峨の院」巻)
という一節があり、どんなに美人でも財産がなければ、男は、
〝あたりの土をだに踏まず〞という有様だったといいます。
逆に言うと、金持ちなら結婚できるわけで、同じ『うつほ物語』には、故左大臣の北の方で、〝並びなき世の財(たから)の王〞という50過ぎの富豪が、30過ぎの貴公子と結婚するくだりもあります。この北の方は〝年老い、かたち醜き〞人で、北の方が貴公子に財を尽くして熱中するのに対し、貴公子は〝紙一枚(ひら)〞すら贈りません。結局、北の方が田畑も売り尽くして財産が尽きると、北の方が貴公子の継子を陥れようと画策したこともあって、捨てられてしまいます(「忠こそ」巻)。まさに金の切れ目が縁の切れ目だったのです。
こんなふうに平安時代に、貧しい女が結婚しにくかった背景には、実は当時の女性の高い地位と経済力というのがあります。
平安時代、財産相続は諸子平等で、男女の別なく権利があり、妻は私有財産が持てました。結婚も、男が女方に通い、子が生まれなどすると独立するのが貴族社会の常でしたから、新婚家庭の経済は妻方が担い、家土地は息子ではなく娘が相続することも多かったのです。
貧乏な家の女は結婚できない、たとえ結婚できても長続きしないというのは、こんな背景があったのです。
この傾向は平安の末まで続いたと見え、そのころ成立した『今昔物語集』巻第16には、貧乏で結婚できない女が、神仏の助けで結婚したという話が複数載っています。こうした話については、拙著『ジェンダーレスの日本史』でも紹介したので、ここでは繰り返しません。
確かなのは、平安時代は、女の地位が高く、財産権も強かったため、貧乏だと結婚できず、金持ちであれば結婚できたということです。
現代社会で、男が貧乏だと結婚できないのは男のステータスや経済力が重視されることの表れである一方、稼ぐ女の未婚率が高いのは、女の地位がまだまだ低く、結婚や出産を取り巻く環境や、産休・育休後の復帰の困難さなど、権利や生活が保証されていないからではないでしょうか。
文/大塚ひかり 写真/shutterstock