貧乏ゆえに結婚できない男たち
財産がないから長年結婚できなかった男として真っ先に頭に浮かぶのは、江戸時代の小林一茶です。
〝我と来て遊べや親のない雀〞(『おらが春』)
で名高い一茶が結婚できたのは、なんと52歳の時です。
長男である一茶がここまで晩婚だったのは、弟や継母との相続争いが長引いたから。52歳の2月21日に財産の決着がつき、4月11日、やっと初めての結婚ができたのです(矢羽勝幸校注『一茶 父の終焉日記・おらが春 他一篇』一茶年譜)。
当時、一茶はすでに俳句の世界では名を上げていたにもかかわらず、相続争いで財産が不 安定であったために、結婚はできなかったわけです。
貧乏だと結婚できないのは皇族も同じです。
室町初期の後崇光(ごすこう)院(貞成王、54歳で親王)が元服したのはなんと40歳。
当時の元服は、結婚と同時に行われることがしばしばです。元服は、大人になったしるし、すなわち結婚できるしるしと考えられていたからです。時代は遡りますが、平安中期の『源氏物語』の源氏も、元服と共に、〝添(そひぶし)臥にも〞ということで、左大臣の娘である葵の上と結婚しています。
日本古典文学全集の注によると、「東宮や皇子の元服の夜、公卿の娘を添臥させる例があった」と、とくに皇族は、元服が結婚前提のものであったことが分かります。
貞成が生まれたのは、『源氏物語』が成立した平安中期よりは300年以上のちのこと。王朝が南朝・北朝と並立していた時代で、北朝の崇光天皇の孫という高貴な生まれながら、父の栄仁(よしひと)親王ともども、不遇な境遇に置かれていました。
それが、周囲の皇位継承者がばたばたと早死にしたおかげで、貞成の子が天皇となり、結果的に貞成の晩年は恵まれたものにはなるものの、それは貞成が85歳の長寿者であったからです。
40歳でようやく元服した貞成が、第1子を持ったのは、記録を見る限り、45歳の時です。のちに即位する息子が生まれたのは48歳の時。30代で死んでいたら、貧乏皇族のまま、元服も結婚もできずに死んでいたわけです。
ちなみに江戸時代の一茶が、第1子を持ったのは54歳の時です。
貧乏だと晩婚になるのです。