性に肯定的だった日本仏教

日本の仏教界がいかに性に寛容であったかは、拙著『本当はエロかった昔の日本』や『ジェンダーレスの日本史ーー古典で知る驚きの性』で紹介したので、ここでは繰り返しません。

日本最古の仏教説話集『日本霊異記』では、熱心な観音の信者が、

〝南无、銅銭万貫と白米万石と好(うるは)しき女(をみな)とを多(さは)に徳施したまへ〞

と祈って、それが実現したとされるほどです(上巻第31)。日本の仏教は早い時期から、大金と食べものと美女たくさんを祈っていい教え、そうした世俗的欲望が叶えられる教えとされていたわけです。

問題はなぜそんなにも日本仏教は、性をはじめとする欲望に寛容であったかですが……。一つには、国や神々が夫婦神のセックスによって生まれたと、お上の作製した歴史書(『古事記』『日本書紀』)に堂々と記されるような、性を大切なものとして重要視する国柄というものがあるでしょう。

これを以てして、昔の日本人の性は「おおらかだった」と言う人がいますが、私はそれは違うと考えており、色んなところで指摘してきました。

神々のセックスで国土や神が生まれたというのは、日本以外でも太古の神話にはありがちですが、日本の場合、それが国を挙げて作成された「正史」である『日本書紀』などにも記されているところがミソです。

子作り以外の性を否定した昔のキリスト教と違って、日本では、何かと何かをつなげ、時に増殖させる「性」的な行為を重要視している、そうした原始的とも言える考え方が脈々と続いているからであろうと思うのです。

このように、性を大切なものとしてとらえていた日本人は、仏教の「宿世(すくせ)」の思想……現世の事柄はすべて前世の善悪業の報いとされる考え方を、「だから夫婦のこと、性愛のことも、自分の力ではどうしようもない」と解釈していました。

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『とはずがたり』の作者の父親の遺言がその例で、平安中期の『源氏物語』にも、源氏と継母・藤壺の密通を「宿世」ゆえ仕方ないと容認する思想が見られます。性愛の欲望に突き動かされたとしても、それは前世からの宿縁で、自分の力ではどうにもならないと、その欲望を容認してしまうわけです。

こうした態度は、女性の地位が低い近世・近代では、「男の欲望は止まらないのだから」という歪んだ理屈となって、だから、女の側が、男を挑発しないよう防衛しないとならない、女が意志に反して男に襲われたとしても、女にも非があったかのように責任を求める、理不尽な姿勢とつながりもしたのですが……。

古代から中世にかけての社会では、女の地位が高かったため、性のゆるさは、女にばかり負担を強いるものとはならず、婚外セックスに関しても、互いの意志を尊重して良しとする傾向が見られます。