「廃業せざるを得ない」手紙を読んだ常連客が
銭湯をリノベして喫茶店にする…そんな夢のような空間を作るまでの道のりは決して平坦ではなかった。
「できるだけ銭湯の空間を残しつつ、地域に開かれた場所にしたいと思っていました。ただカフェに行きつくまでには『映画館にしよう』とか『男湯を八百屋、女湯を花屋にしよう』とか随分迷走しました(笑)」
そう語るのは「快哉湯」のリノベーションを手掛けた建築会社「ヤマムラ」(本社・山形県新庄市)の取締役、中村出(いずる)さん(39)だ。現在、快哉湯の浴室部分を同社東京支店のオフィスとして活用している。
もともと「快哉湯」の常連客だった中村さん。銭湯を引き継ぐことになったきっかけは、中村さんが所属するNPO法人「たいとう歴史都市研究会」宛に当時のオーナーの男性とその家族から手紙が届いたことだった。
手紙には、ボイラーの設備などの老朽化に伴い廃業せざるを得ないという厳しい経済状況が綴られつつも「建物自体にとても思い入れがあるので、用途を変えてでもどうにか活用できないか」という内容が書かれていたという。いつも利用している銭湯の危機的状況を手紙で知った中村さん。
「手紙を読んだ時は正直ショックでした。今まで利用していた銭湯が未来永劫続くものではないんだなって。だからこそ常連客でもあった自分が何とかしなきゃと思いました」
使命感に燃えた中村さんはオーナーから銭湯を借り受け、リノベを実施することに。浴室をオフィスにすることは決まっていたが、脱衣所部分をどう活用しようか何年も協議を重ね、結果的に「地域に開かれた場所に」という思いから、カフェとして運営することが決まった。
リノベに際し、残せるものは全て残した。それでも唯一壊したのは浴室部分の男女の仕切りだった。
「仕事場としてもイベントをやるにしても邪魔になると思ったのと、そもそも男女の境を取っ払えるような空間にしたかったんです。結果、銭湯って上から光が入る作りになっているんですが、それがまるで教会みたいな雰囲気で。社員が談笑したり、図面を広げたり、ディスカッションするのにとても気持ちのいい空間にはなっています」
一方、気になるのは喫茶店として用いられている男女の仕切り部分。取っ払った方が店員の目が行き届きやすいようにも見えるがなぜ残したのだろうか。
「かつてこの仕切りの鏡を使って利用客の方々が踊りの練習をしていたらしいんです。新しくなってからの運営上のことより、歴史を終わらせないように優先したいなと思いました」
営業当時は地元住民のみならず、近くのゲストハウスに宿泊する外国人観光客も集い、番台に座るオーナーの妹と地元話で盛り上がるなど、まさに地域の交流の場だった「快哉湯」
「関東大震災以降、平屋で天井が高くて富士山のペンキ絵があるような派手な作りの銭湯が墨田区や台東区など東京の下町を中心に一気に普及しました。作り方は非効率ですが、歌舞伎座みたいな独特な魅力があります。
建物自体から『災害に負けないで頑張ろう』という日本の大工さんの気迫を感じますし、そういう建築物ってお金をかけて新しく作ろうと思っても難しい。ユニークな空間でできる再生の在り方って多種多様だと思うので、できるだけ活用して日本独自の建物を残していきたいと思います」