一生なれないと思った「日本代表」
車いすラグビーは、障害の程度によって0.5点から3.5点までの持ち点があり、障害が軽い方が点数が高い。公平を期すため、コート内でプレーする4選手の合計点が8点までと決められている。
「僕は障害のクラスが2点ですが、左手が少し動くので、ちょっと状態がいい方だと言われたんです。でも、いざ始めてみたら他の選手のレベルの高さに愕然としました。同じ2点どころか、0.5点の人のウォーミングアップにすらついていけませんでした。日本代表なんて一生なれないなって」
そんな始まりだったが「仁士や、ほかの選手も練習に誘ってくれて、車いすでの走り込みもしました」。1年半経った頃から、味方とのコミュニケーションで相手を抜くなど、ラグビーの動きが理解できるようになったという。「初めて同じ2点の選手を抜けたときは、自分、ちょっとうまくなってる!って、手応えを感じました」
2017年から日本代表強化選手に選ばれた。そのとき、当時の日本代表監督のケビン・オアー氏に「君は2.0だが、自分より点数の高い選手に対抗できるようになれ」と言われ、衝撃を受けた。
「そんなの無理と思っていたけど、それができるなら、チームにはすごくプラスになります」監督の言葉を胸に刻みつけた。「点数の高い選手が来たときは、まず走りで仕掛ける。ダメだったときに得意のパスを生かす戦略です」
実は左手だけは3.0kgの握力が残っている。野球で培ったサウスポーの、精度の高いパスは大きな強みだ。「ボールの安定したつかみには自信があります」
チームで長所を生かすことは、車いすラグビーの魅力でもあるという。「みんなそれぞれ障害が違います。それをお互いが理解し合いながら、できることできないことを見極めるんです。みんなでカバーし合って1つのゴールを目指す。これが好きなところです」
一瞬一瞬のベストをパリで
初出場の東京パラリンピックは銅メダル。「パリでは、金を取りたいです。でも金、金と欲を出すよりは、試合の一瞬一瞬に最善のプレーを積み重ねることが大事だと思います。チームで決めた戦術だったり、自分で思い描いてるプレーをしっかりコートの中で表現して、それがチームのためになればいいなと」
そして課題もしっかり意識する。「海外の試合に出ると『こんなことしてくるんだ⁉︎』と、思いがけないプレーに出くわします。そこに対応できる余裕が自分にはまだないので、そうした地力をつけていきたいと思います」
「東京パラのときは、自分が頑張ることに精一杯でした。でも今は、家族や友だち、支えてくれるみんなに、いい結果を出して恩返ししたいという思いも強いです。それが、選手としてできることだから」
悔しさを原動力に夢をつかみに行く
「高3最後の夏の大会では、ベンチ入りできなくて悔しい経験をしました。ラグビーでも『もう高校生のときみたいな思いはしたくない』という気持ちが根底にあります。当時と今とでは、考え方や取り組み方も全然違います。絶対に自分の夢をつかみたいという思いでやっています」
寝たきりから再びスポーツの世界に戻り、日本代表として活躍するまでになった。パリでどんな結果をつかみ取るのか楽しみだ。
取材・撮影/越智貴雄[カンパラプレス]