「廃園にする」と交わした念書
事件直後、園側は遺族に「廃園にする」と約束し、念書も交わしていた。川崎幼稚園を「廃園にする」という念書を交わしたときのことについて河本さんはこう語っていた。
「事件から1日経って司法解剖から千奈は帰ってきました。体のいろいろなところに大きな絆創膏が貼られて切った痕を隠してあり、半分開いていた目も綺麗に閉じられていました。
司法解剖の前に警察から千奈ちゃんの帽子を用意してくださいと言われていたのですが、その理由もわかりました。頭を開けて脳を見たので、その痕を隠すために千奈は帽子をかぶっていました。
その日、千奈を前にして増田元園長を含めた関係者9人と話し合いをしました。この前の話し合いから僕たちは廃園を望んでいることを伝えていました。その上で『千奈を見てあなたたちどう思いますか? 千奈の顔を見て思うことを(ノートに)書いて下さい。書きたくないなら何も書かず帰ってくれてかまわないです』と僕は言いました。
担任とか副担任の方や乗務員の方などは涙を流して千奈を見ていましたが、あろうことか増田元園長は怖い物や汚い物でも触るように、千奈の肩を僕らに許可なく触ったんです」
当然だが、河本さんたちは激昂した。
増田元園長はその後も事件の当事者とは思えない発言や行動を繰り返したという。河本さんは9人にノートを手渡した。
8名の職員が『廃園を願います』や『園を辞めさせていただきます』とそれぞれの今後や責任の取り方をノートに記すなか、増田元園長は『苦しかったろうな あつかったろうな ごめんな 千奈ちゃん』という一文を残したという。
「本当に謝罪する気があるとは思えませんでした。『ふざけるな』と言うと、今度は『はいはい。わかりましたよ、書きますよ』と声を荒らげて書き殴るように『誠に申し訳ありません。廃園に致します』と記しました。もちろんこの念書に法的な効力がないことは僕もわかっています」
当時、河本さんにとっての『決着』とは何か尋ねるとこう答えていた。
「川崎幼稚園の運営は榛原学園が行っていますが、バスを運転していた増田立義元園長は榛原学園の元理事長です。事件後辞任しましたが、新たに榛原学園の理事長に就任したのは増田立義元園長の息子です。
結局、一族経営のままなんです。僕は一族経営を辞めさせること、そして川崎幼稚園を廃園にするか、他法人に引き渡すことを『決着』と考えています」
会見で、判決というひとつの『決着』について千奈ちゃんにどう報告するか問われた際、父親は「裁判がひとつ終わったよと。元園長は実刑になったよと。元担任も有罪判決、それでよかったとはいえない、ごめんなさいと謝ると思う」と話していた。
月日が経っても愛娘を失った遺族の心の傷が癒えることはない。廃園というもうひとつの『決着』については遺族と園側の溝は深まるばかりだ。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班