恐怖や孤独の中でスケボーに生きる自信を見出していく

彼らのひとりから「大会があるので来ないか」とメッセージがあった。

教えてもらった場所は侵攻直後に大規模な攻撃を受けた集合住宅に近いスケートパークだった。到着すると開始時間前だというのに多くの若者たちがスケボーを持って集まり、待ちきれずに練習をしていた。

スケボー大会の主催者は16歳のユアン(写真中央のメガネをかけた青年)自らスポンサーに交渉して賞品を集めた
スケボー大会の主催者は16歳のユアン(写真中央のメガネをかけた青年)自らスポンサーに交渉して賞品を集めた

大会と言っても小規模なものだが、誰もが真剣な顔つきだった。
トリックに失敗しても誰も笑うものはおらず、挑戦する勇気を拍手で称える。
彼らにとってかけがえのない時間だ。

大会の記録撮影をしていた写真家のニキータ(22)が話してくれた。彼はスケーターたちを見守る兄貴的な存在でもある。

「俺もハルキウの東部の街からカメラとスケボーを持って逃げてきたんだ。いま故郷はかなり危険になってるからね。ここでスケボーを教えたり撮影してあげると簡単に友達ができた。

実はここにいる彼らの多くは戦争で恐怖心に押しつぶされ、孤独を感じたりしている。でもこうやってスケボーに乗ると、昨日できなかったことが今日できるようになる。そうやって少しづつ自信を見出していくんだ」

私は彼らが単に現実から逃れるための精神的な拠り所としてスケボーをしているのだと思っていた。しかし、彼らの表情を見続けていると、もっと切迫したものを感じる。大会の最中、私は少年が手にしていたスケボーの板に記された手書きのメッセージに目が止まった。

「Fuck that.I don’t wanna die.Life is way too beautiful.But you know that I’ll try」
(筆者訳:ちくしょう。俺は死にたくない。人生はあまりにも美しすぎる。でも俺はやってやる)

スケボーの板に記された手書きのメッセージ
スケボーの板に記された手書きのメッセージ
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すでに戦時下という異常な暮らしが2年以上も続いている。毎日のようにミサイルが落ちてくるこの街で、彼らは今日と明日の違いもわからない鬱々とした日々を過ごさなければならない。

だからこそ彼らはスケボーに乗り、自分自身の意思で体を動かす。ありていに言えば、生きている実感ということだろうか。今この瞬間を自らのために生きる。その確かさを求めているのだ。

最近ではスケートボードは趣味やスポーツとしても親しまれているが、かつては反逆の象徴として若者たち自身が文化を育んできたものだ。私が出会った彼らのうちの1人は「今は人も少ないし多くの店が休業や廃業しているから、ストリートはかなり滑りやすくなった。追い出されることもなく自由になった」とも言っていた。

しかし、彼らは非常にまっとうに生きようとしていると私は感じた。真面目で正直であるがゆえに、今の状況ではその姿が反逆的に見えるのだ。生きていることを実感するためにスケートボードに乗り続ける。

それは明日をも知れぬ身に置かれた彼らが正常であり続けるための反逆的な方法なのだ。彼らにとって、異常なのはこの世界なのだ。

取材・文・撮影/児玉浩宜