スケートボードは戦時下における心の支え
21歳のアルチョムがトリックを決めたのはミサイルが落とされて廃墟となっている建物の前だった。
「俺はどこにも逃げずにこの街にずっといる。毎日戦争のことを考えていると頭がおかしくなりそうになる。でもスケートボードに乗ってジャンプをしている瞬間、自由でいられるんだ。
スケボーは俺にとって単なるスポーツじゃない。アートであり表現方法なんだ。常にどう美しくスタイリッシュに魅せるかを考えている」
そう言いながら、彼はしきりに履いていた新しいスニーカーを気にしていた。泥がついていたらしい。ミサイルが落とされた廃墟よりも、靴の汚れに意識が向く。彼にとって美意識を維持することが、生きていく上で大切なことなのだろう。
さらに危険な地域からハルキウへと避難してきた者もいる。南部ザポリージャ州エネルホダル出身の17歳、ヴァディム。
故郷はロシア軍の占領地となってしまったため、昨年ハルキウへと逃げてきた。ヴァディムの夢はプロスケーターになることだ。
「寝ても覚めてもスケボーのことを考えてるよ。でもプロになるためにはウクライナを出なければいけない。ここじゃスポンサーの規模も小さいし、できることは限られている。それに両親はまだ占領地に残ってるんだ。心配だから毎日電話してるけど、こんな状況じゃ未来のことは考えられないよ」
17歳のデニスはここを離れて隣国のポーランドに避難することを母親から促されている。
「小さいころにこの広場でスケボーをする人たちを見て、なんてかっこいいんだ、と思ったんだ。それから親に頼んでスケボーを買ってもらい始めたんだ。仲間がいるから本当はここに残りたい。でもいま僕は17歳だし来年になるともう逃げられなくなるんだ」
戦争が始まって以降、ウクライナでは総動員令が出され、18歳から60歳までの男性は原則、出国が禁止されている。
「父さんはウクライナ軍の兵士として戦ってる。だから僕だけでも逃がしたいっていう母さんの気持ちもわかる。いつポーランドに行くかはまだわからない。親が決めることだから」
彼らはそれぞれの葛藤はありながらも落ち着き払っていた。仲間と毎日顔を合わせ、近況を語り、スケートボードに乗る。
彼らにとってスケートボードは戦時下における心の支えであり、冷静さを保つための手段となっているのだろう。