沖縄にバーを出店も失敗

――事務所からは反対などなくスムーズに引退できたんですか?

所属していた音楽ユニット「D☆DATE」でいろいろと準備中というタイミングだったからすぐにとはいきませんでした。結局、約1年後とかだったかな。
 

――事業をやることが魅力的に感じられた理由は?

高校卒業後に長野から上京してそのまま役者になった僕にとって、ひとつの事業を起こす流れを最初から体験させてもらえることが魅力的でした。

浜松で営業していたバー店長時代の五十嵐さんと、店に訪れたファンの子ども(子どもの父親提供)
浜松で営業していたバー店長時代の五十嵐さんと、店に訪れたファンの子ども(子どもの父親提供)

実際、行政の許認可や資格の取得、物件探しから、開店に向けて厨房やホールで使う物品の準備などの流れを体験できてとても勉強になったし、刺激的でした。

店の調理器具は僕がいろんな店舗をまわって探したり、金額交渉したりとすべて自分で調達しましたしね。そいういう経験はすべて初めてだったからおもしろかったですね。
 

――その後、沖縄でバーを開店していますね。

しゃぶしゃぶ店の経営に4年ほどかかわった後、六本木でバーとカフェも始めたけどうまくいかなくて。

それで沖縄なら年間通して観光客の来店が見込めるし、ワンオペだから人件費も抑えられるかなと思って六本木のバーとカフェを売ったお金でオープンしました。まぁ、甘く考えちゃってましたね……。

インタビューに応じる五十嵐さん
インタビューに応じる五十嵐さん

――こちらもうまくいかなかった?

沖縄の観光客は、ゴルフとかマリンスポーツとかの予定を朝早くから入れちゃうから、夜遅くまで飲まない人がほとんどで、現地の人は地元民が経営する店に行っちゃう。

固定客が得られず、友達もいなくて誰も頼る人がいなかったからオープン数ヶ月で心が折れました。

それでもなんとか続けながらマリン系のアクティビティの仕事でも始められないかと探してみても、あの業界は組合がガッチリしてて入り込むハードルがとても高く、そちらも断念。

そんな折に知人から「浜松でバーを開くから、店長をやってほしい」という話がきたんです。なんでもやってやるって気持ちだったから迷いませんでした。