「試作品」で完成しておく

グッゲンハイム・ビルバオの設計を受注してから、ゲーリーとチャンはこうした試行錯誤に2年近くを費やした。その間、作業は積み木や段ボールのアナログの世界から、CATIAキャティア(コンピュータ支援3次元対話式アプリケーション)と呼ばれるソフトウェアを利用した、最先端のデジタルシミュレーションへと移った。

写真はイメージです
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CATIAは、もとは1977年にフランスの航空宇宙大手ダッソーによって、飛行機設計のために開発されたソフトで、ゲーリーのために、3次元の複雑な建物の設計に適用できるように改変されている。CATIAは驚くほど詳細で精密な設計を可能にし、ゲーリーの想像力と作品をほかのどんなツールよりも強力に支えている。

ゲーリーはかつては直線的な造形を主体としていたが、その後曲面を多用し始めると、設計を現実に落とし込むことができずに、完成した作品に失望することが多くなった。ゲーリーは私に、初めて曲線を取り入れた作品の写真を見せてくれた。1989年にドイツのヴァイル・アム・ラインに建てられた、ヴィトラ・デザイン博物館だ。

美しい建物だが、背面のらせん階段の屋根に、意図的につくったようには見えない「でっぱり」が見える。そしてそれは彼の意図したものではなかった。ゲーリーは頭の中の構想を、実際に建設可能な2次元の図面に反映させることができなかった。

構想が実現しなかったのは、施工業者の過失ではなかった。ゲーリーの構想が、現実の設計に落とし込まれていなかったのだ。だがCATIAは、飛行機の機体のような精緻な曲線や、超音速の航空力学のような精密な物理学を扱えるように開発されたソフトだ。ゲーリーとチームはCATIAを利用することで、あらゆる形状を使って実験を行い、どれが建設可能か不可能かを確実に判断できるようになった。

ドイツであの不格好な屋根をつくったわずか3年後、ゲーリーは1992年バルセロナ夏季オリンピックのために、巨大な魚のオブジェ「フィッシュ」を完成させた。これはゲーリーがCATIAだけを用いて行った最初の設計であり、CATIAがあってこそ実現した設計である。

流れるような躍動感あふれる造形が実現した。ビルバオ・グッゲンハイム美術館がオープンしたのは、その5年後だった。ドイツの「でっぱり」から、たった8年後のビルバオの優美な曲線への大転換は、技術的にも美的にも見事としか言いようがない。それは建築史上のどの建築様式の転換にも劣らないほど劇的な、そして喜ばしい転換だった。

CATIAには計り知れないポテンシャルがあった。ゲーリーとチームがこっちの曲線を変え、あっちの形状を変えると、コンピュータはそれらの変更が建物のあらゆる側面に与える影響をすばやく計算する。たとえば構造的整合性(自立するか?)や、配線・配管の機能性(稼働するか?)、コスト(予算内に収まるか?)などへの影響が即座に判明する。

試行錯誤は加速した。ゲーリーはCATIAの機能を存分に活かし、どんどんアイデアを試していった。ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、最初にコンピュータ上で完全に建設された。この「デジタルツイン(デジタルの双子)」(ゲーリーが初めて制作してから何年もあとにできた用語)が完成してから、ようやく現実世界での建設が始まった。