清志郎が亡き“母たち”を想って書いた?
そんな怒りと苦悩の背景から生まれたのが、忌野清志郎が三宅伸治らとともに結成した覆面バンド、THE TIMERS(ザ・タイマーズ)であった。
過激なパフォーマンスやメッセージが話題になる一方で、あのモンキーズの『デイドリーム(Daydream Believer)』が、1989年の日本で突如として蘇ったのは意外すぎて衝撃的だった。
原詞とはまったく異なる日本語の『デイ・ドリーム・ビリーバー』からは、何とも言えない慈しみの気持ちや、深い情愛を感じるという声も多い。
実はこの曲の詞は、清志郎が亡き“母たち”を想って書いたという説がある。
父と母、ともに実の両親ではないと知らされたのは、清志郎を育ててくれた母が他界した1986年のことだった。そして父からも、「俺は本当の父親ではない」と告げられた。その父も2年後に突然亡くなってしまった。
親戚のおばさんがその後で持ってきてくれたのは、育ての母の妹にあたる富貴子さん、すなわち実母が残した遺品であった。
そこには写真や書き残した文章、短歌などがアルバムに丁寧に保存されていた。そればかりか彼女が吹き込んだソノシートのレコードまであったのだ。
清志郎による当時のノート『ネズミに捧ぐ詩』には、生みの母への思いや遺品を目にした時の抑えきれない喜びが、「HAPPY」と題して記されている。
「わーい、ぼくのお母さんて こんなに可愛い顔してたんだぜ こんなに可愛い顔して 歩いたり、笑ったり、手紙を書いたり 歌ったり 泣いたりしてたんだね」
実母の富貴子さんは、当時の人がなかなか着こなせない派手な赤や緑の洋服を、平気で着てしまえるアカ抜けたセンスを持っていたという。
いつもおもしろいことを言って周囲の人たちを笑わせて、歌が好きで上手だったという母のエピソードを知って、本当に嬉しかったに違いない。
日本語の『デイ・ドリーム・ビリーバー』がリリースされてからすでに35年の歳月が経つ。
裏切り、怒り、苦悩と直面していたはずの忌野清志郎。なのにこれを歌う清志郎の声がいつまでもエバーグリーンに感じられるのは、日本語詞を書いた時の「HAPPY」な気持ちが伝わってくるからだ。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル画像/1994年9月6日発売『マジック〜KIYOSHIRO THE BEST』(UNIVERSAL MUSIC JAPAN)
参考・引用
『生卵 忌野清志郎画報』(ロックン・ロール研究所編/河出書房新社)
『ネズミに捧ぐ詩』(忌野清志郎/KADOKAWA/中経出版)