尾崎紀世彦の爆発力を「ああエエなあ」と思って歌をはじめた
どんと(久富隆司)は1962年8月5日、岐阜県大垣市で生まれた。小学生のどんとは、テレビの歌番組を見るのが一番好きで、1969年から70年にかけて始まった歌謡曲の黄金時代を体験したことで、歌を歌うことの喜びを知った。
尾崎紀世彦の『また逢う日まで』が発売になったのは、1971年3月5日。ヒットしたのはその年の春から夏にかけてのことだった。年末には第13回日本レコード大賞と第2回日本歌謡大賞をダブル受賞し、『NHK紅白歌合戦』に初出場も果たした。
ある時、尾崎紀世彦が突然スイ星の如く現れて(笑)。あの爆発力を「ああエエなあ」と思って。マイクの持ち方まねしたり。初めて買ったレコードも「また逢う日まで」だし。歌なんかもすぐ覚えて、人に歌って聴かすのが好きやったんや。
引用元・『ミュージックマガジン2月増刊号 どんとの魂』(2015年)
次に歌の衝撃を受けたのは、ラジオを聴いていて知ることになったフォーク・ブームである。ラジオにマイクを向けてカセットテープレコーダーに録音し、吉田拓郎や泉谷しげる、井上陽水の世界に入っていった。
その時は、大好きだった歌謡曲とは正反対のところから、新しい音楽がやって来たという印象を持ったという。中でもレコードをすべて買い集めるほど心酔したのは、忌野清志郎がソングライティングをしていたRCサクセションだった。
どんとは高校から大学時代にかけて、忌野清志郎にすっかり染まっていた時期がある。中学生の時にはビートルズ狂にもなった。それはライブ映像を視聴体験したのがきっかけだ。
ビートルズに関してはレコードだけでなく、たくさんの関連図書や資料が豊富だったので、資料込みで聴く楽しみを覚えたという。
その頃フィルム・コンサートというものを知って、ビートルズの”シェイ・スタジアム”とか見てすごく感銘を受けて、世の中ではそんなのもうあたり前やったんやけど、それでビートルズのレコードを買ったんや。青い2枚組の『1967~70』っていう、あたり前のやつ。あれ買って聴いたらビックリしてさあ。入ってる曲全部いいやん(笑)。
引用元・『ミュージックマガジン2月増刊号 どんとの魂』(2015年)
どんとが音楽を受容していく力は生半可なものではなかった。すっかりロック少年になって1981年に京都大学へ進学すると、初のバンドを結成して音楽活動に励んでいく。