渦中であるということ

現在進行形の当事者であること、その立場と自覚を手放さぬよう、この本は大切な道具として扱われている。本書は作品というより、繊細に組み立てられた武器だ。その観点からみれば「書かない判断」はおよそ正しい。

山熊田における〈マタギ〉の定義は分からないが、みずからをマタギだと自覚する者たちがいるのは確かだ。彼らから、まだ学んでいる途中の彼女がその何たるかを語るのは、誠実とはいえない。だから、まだ書かない。

一月七日、一年目の役目を終えたお礼や正月飾りを家々から集めて燃やす
一月七日、一年目の役目を終えたお礼や正月飾りを家々から集めて燃やす

山熊田の歴史や暮らしを繋ぐことが最大の目的であるなら当然、行政も味方につけねばならないだろう。人間関係、政治的利害の調整、商品の流通、金の動き……ありとあらゆる角度に配慮し、その上で、いま唱えるべきことはやんわり主張し、ときには道化のふりもいとわない。この先に唱えるべき事柄については、もっとも効果的な機会を待つ。

彼女はしぶとい藝術家であり、フェアな政治家であり、あっけらかんと楽しむ村人であり、健啖な酒飲みであり、マタギの嫁である。忖度はしばしば非難の的となるが、当事者は口ごもらずにはいられないものだ。

細心の注意を払って執筆された本書には、ただひとりだけ明確な敵が現れる。書かずとも済ませられたはずの事件をあえて記録に残したところに、彼女の強烈な覚悟と責任感が滲んでいる。正体を知りたくば、一読そして再読を。

文/藤野眞功 写真提供/大滝ジュンコ

【1】 〈〉内は、大滝ジュンコ『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社)より引用。

【2】 亀山亮『山熊田』(夕書房)を参照。

【3】 〈〉内は、田中康弘『マタギとは山の恵をいただく者なり』(枻出版社)より引用。

【4】〈〉内は、田口洋美『越後三面山人記 マタギの自然観に習う』(農文協)より引用。