ツッコミが課題だったダイアン

「ゴイゴイスー」のギャグで人気沸騰、大活躍のダイアンだが、これも「津田くんのツッコミの成長ぶりがあってこそ」と語るのは吉本NSC伝説の講師・本多正識氏だ。

滋賀県の中学の同級生だったふたりがNSC大阪校に入学したのは1999年のこと。当時のふたりの印象を本多氏はこう回想する。

「まず驚かされたのはユースケくんの稀有なお笑いの才能。何も教えていないのに、最初からゆったりとした漫才に最適な間でしゃべくりができる。こういう才能の持ち主は漫才師を目指す人でも何百人に一人いるかいないかです。私が知っているなかではダウンタウンの松本くん、フットボールアワーの岩尾くんがそうでした」

ダイアンのユースケ(左)と津田(右) (写真/産経新聞社)
ダイアンのユースケ(左)と津田(右) (写真/産経新聞社)
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その天才肌・ユースケに比べて、相方の津田はいたって平凡な存在だったという。

「うまくもなければ、下手でもない。ごくごくふつうの生徒でした。ただ、特別な間でしゃべるボケ担当のユースケくんがあまりに天才的すぎて、横に並ぶとツッコミ担当の津田くんがものすごく下手に見えてしまうんです(笑)。

だから、このコンビが売れるか売れないかは津田くんの成長しだい。彼のツッコミが上達し、ユースケくんのボケをうまく生かせるかどうかがカギになるなと見ていました」(本多氏)
 
ところが、津田のツッコミはさっぱり上達しない。

「たとえば、A、B、Cと3パターンのツッコミがあったとして、Aが最高、Bが次善の場面で津田くんはなぜか、平凡なCのツッコミをしてしまうんです。しかも、緊張のためか早口になったり、声が小さくなったりするため、語尾がはっきりと聞き取れない。

せっかくユースケくんが最高のボケをかましているのに、津田くんのツッコミがイマイチでそのおもしろさが客席に伝わらないことがしばしばでした。そのため、津田くんには『最後までもっと大きな声でしゃべれ』と日課のように注意していたんですが、なかなか改善しませんでした」

やがて、業を煮やした本多氏はこんなショック療法のようなことばを津田に投げかけることに。ふたりがNSCを卒業して3~4年目、ようやく『ダイアンっておもしろい』との声が関西で聞こえるようになった頃のことだった。

「舞台袖で二人に『ユースケ、津田とのコンビ解消してもっと上手なツッコミを探したらどうや。そうすれば、もっともっと人気が出るで』と言ってみたんです。もちろん、本心ではありません。ふたりは同郷の幼馴染で仲がよく、コンビ別れなんて絶対ありえない。そんなダイアンだからこそかけられた、キツめのハッパでした」