かつて大阪ローカルでは人気も、全国区になれず
今やテレビのレギュラー本数は10本をかぞえ、押しも押されもせぬ売れっ子となった千鳥。ただ、大阪を拠点に活動していた2010年前後までは全国進出のきっかけをつかめないまま、ローカル芸人としてくすぶっていたという。
当時の千鳥の様子を知る吉本NSC講師の本多正識氏がこう振り返る。
「その頃の千鳥は関西のテレビ番組で数本のレギュラーを持ち、若手芸人が出演する『ベース吉本』でも笑い飯やノンスタイルと人気を3分するなど、そこそこの人気者でした。ただし、その地位も大阪ローカルどまり。全国区人気にはなかなか手が届かないでいました」
たしかに当時の千鳥は全国区への足がかりとなるM-1でも決勝には何度も進出するのだが、結果はいつも下位どまり。お笑い界スターダム入りへのチャンスをつかめずに低迷していた。
「そうこうしているうちに、2008年には活動の拠点だった『ベース吉本』から卒業扱いとなってしまったんです。また、2010年には結成から15年以内というM-1出場資格を喪失し、最後のチャンスと挑んだ同年のM-1もあえなく準決勝で敗退するはめに。千鳥にしてみれば、芸人として次に何をすればよいのか、試行錯誤を迫られている状況でした」(本多氏)
普通ならここで反転攻勢できずに、ローカルにくすぶってそれっきりという芸人も珍しくない。ところが千鳥のふたりはM-1敗退の崖っぷちからわずか2年後の2012年には東京に進出し、あれよあれよと全国キー局を中心に10本近くのレギュラー番組を持つ人気者になった。
いったい、千鳥が上昇気流へと転じるきっかけは何だったのか? 前出の本多氏は2011年に「5upよしもと」(2011年1月に『ベース吉本』の後継劇場としてオープン、2014年11月に閉館)の舞台袖でノブと交わした会話が「その瞬間だったのではないか」と証言する。
「出番を終え、大悟くんは楽屋へ戻ってしまったんですが、ノブくんが舞台袖にいた私のもとへ近づいてきて、『大悟の岡山弁はちいときつすぎるような気がするんです。もうちぃと柔らこうしてわかりやすいことばづかいに変えたほうがええかなと思うんですけど、先生、どう思われます?』と聞いてきたんです」
大悟とノブはともに岡山県出身。岡山弁と大阪弁が混在した独自のしゃべりで笑いをとるのが千鳥の漫才スタイルだ。ノブは全国的になじみが薄く、しかもわざとどぎつ目の岡山弁を連発する大悟のしゃべりが千鳥低迷の一因になっているのではと悩んでいたのだ。本多氏が続ける。
「大悟くんのルックスはどう見ても柄の悪い田舎のおっさん風。そんな大悟くんがどぎつい岡山弁を連呼したら、お客さんは笑うどころかドン引きしてしまうのではないかと、ノブくんは心配していたんです。千鳥の芸を何とかして変えていかないと、さらなる高みには行けないという思いがノブくんにはあったんでしょう」