局内からも大反対だった番組開始前夜

来年の2月末をもって「新宿アルタ」の営業が終了となることが3月22日に発表された。新宿アルタといえば、「いいとも!」の公開生放送を思い浮かべる人がほとんどだろう。8054回、32年間もの長きにわたり放送された国民的番組だが、番組開始前はフジテレビ局内での評価は散々だったようだ。

1990年7月26日発行の雑誌「週刊明星」では「2000回記念企画」と題した特集企画で2代目プロデューサーの佐藤義和氏がこう述べている。

2014年3月31日に放送された「森田一義アワー 笑っていいとも!」のグランドフィナーレ(写真/サンケイスポーツ)
2014年3月31日に放送された「森田一義アワー 笑っていいとも!」のグランドフィナーレ(写真/サンケイスポーツ)
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タモリ本人も同特集のインタビューで「初めは3ヶ月で終える予定にしていたんです」と答えている。そんな逆風の中、幕を開いた「いいとも!」の歴史。記念すべき初回放送を担当したディレクターの永峰明氏は当時のタモリをこう振り返る。

「タモさんは当時、イグアナのモノマネや『四カ国語麻雀』などセンスとキレのあるお笑いをやっていた。ご本人は『あのころの俺は江頭2:50みたいな感じだった』と言ってるけど、もっとロジカルで教養のある笑いというか。

インタビューに応じる永峰明氏(撮影/集英社オンライン)
インタビューに応じる永峰明氏(撮影/集英社オンライン)

横澤(彪・初代プロデューサー)さんの思惑としては、大学でジャズ研究をしていたり、料理好きだったりと博識のタモさんを、5人の“ひょうきんディレクターズ”の中で一番若くて頭の柔らかい僕をぶつけることで、独特の空気感が生まれることを期待していたのかなと思います」

故・横澤彪氏とは「オレたちひょうきん族」などを担当してテレビの笑いを変えた伝説的プロデューサーで、“ひょうきんディレクターズ”とはその横澤班に属する5人のディレクターのことだ。

永峰氏は“永峰アンノン明”と称し、『ひょうきんパラダイス』という曲でレコードデビューをしたり、プロマイドも売られたりと、名物テレビマンだった。そんな永峰氏は横澤氏から「この番組でいろいろ実験しろ」と番組の“パッケージ作り”を任されたそうだ。