情けなくて看板を見上げて泣いた開店初日
「五福星」の店主・早坂さんは16歳の頃からレストランやパーラー、喫茶店でアルバイトを始め、その後、山形交通の契約社員としてスキー場でコックの仕事をしていた。やがて妻・てる子さんと結婚し、将来の生き方を考えていた頃、郡山にある遠い親戚がやっている喜多方ラーメンの名店「北方らーめん」に食べに行った。洋食出身の早坂さんに店主の一言が刺さったという。
「洋食はいろんなものを作らないといけないけど、ラーメンは鍋と釜二つあれば作れるぞと言われ、安直にこれはいいなと思ってしまったんです」(早坂さん、以下同)
喜多方の名店「源来軒」出身の「北方らーめん」は郡山でも伝説の店と言われ、店主は10年間で“ラーメン御殿”といわれる大きな家を建てた。それに憧れた早坂さんは仙台でラーメン店をやることを前提に「北方らーめん」で修行を始めた。
その後、1992年に仙台市青葉区で「五福星」をオープン。「北方らーめん」の喜多方ラーメンをベースに、太麺に背脂を合わせた仙台では画期的な一杯を提供しはじめる。
「オープンの前は完全に舐めていました。周りにたいしたお店もなかったので、チョロいと思っていたんです。
しかし、初日が始まってみるとまったく上手く作れませんでした。情けなくて看板を見上げて泣いていました。
お客さんには『醤油の色をしてるけど塩の味しかしねえ。喉が渇いてしょうがねえ』と言われました」(早坂さん)
郡山で売れているラーメンをそのまま仙台に持ってきても売れない。
地方の人気店がそのままの味で東京に進出してもなかなかうまくいかないのと同じで、都市部で売れるラーメンを作るのはなかなか難しいのだ。しかし、早坂さんは研究を進め、ラーメンをブラッシュアップすることで、だんだんとお客さんが増えてきた。