「やり続けることは難しい」と“ある大先輩”が教えてくれた

――当時のねるとん紅鯨団は、23時台の放送ながら平均視聴率17%を超える超人気番組で、柳沢さんの「あばよ!」は、瞬く間に全国区の知名度を誇るフレーズになりました。

ファンじゃない人でもよく口ずさんでいたんで、シンプルにびっくりしました。

今も昔もスタッフから「あばよ!」をやってくれって、よく言われるんです。「あばよ!」をカットされることってほとんどなくて、この前撮った収録でもオープニングとロケ中に2回やったんですが、どっちもオンエアされましたし。

でも正直「あばよ!」も「いい夢見ろよ!」も卒業しようかなと思った時期があったんです。

――それは俳優としてのキャリアを考えてのことや、「あばよ!」を求められること自体にプレッシャーを感じていたから、ということでしょうか?

いや単純に飽きたから(笑)。2000年代に入りかけぐらいのときですね。

僕は俳優志望でしたが、人を笑わせるのも大好きな性格。お笑い好きが高じて「ぎんざNOW!」(TBS系)にコンビで出演して、20代目チャンピオンにもなりましたから。

自分の性格的に人に喜ばれるとついつい笑わせちゃう。なので、自分で「もういいだろ」と思ったネタでも、いつの間にかやめられなくなってしまいます。

「あばよ!」に限らず、自分の持ち芸の「ひとり警視庁24時」「ひとり甲子園」なども同じで、自分が飽きたころに流行りだしたので、ブームが来たときに僕自身は冷めていたんですよ。

「おーっとここで、送りバントだー!」全力で持ち芸を披露してくれた
「おーっとここで、送りバントだー!」全力で持ち芸を披露してくれた

――これ以上、「あばよ!」を続けなくてもいいんじゃないか、もうそろそろ卒業してもいいんじゃないかとお考えになったということですね。

はい。でもやめようか迷っていたことを僕の大先輩である松方弘樹さんに相談したら一蹴されたんです。

「慎吾。やめるのは簡単だけど、やり続けることは難しい。絶対に自分のためになるから大切に続けなさい」って。

松方さんには、若いころにも「20代のうちからバラエティやクイズ番組、時代劇などいろんな引き出しを作っておいたほうがいい」とアドバイスされました。というのも、引き出しをたくさん持っていれば、潰しがきいて食っていけるから、と。

あのころは言葉の意味をまだよくわかっていませんでしたが、この年になってようやく続けてきてよかったなって思っています。

柳沢慎吾「“あばよ!”はテレビが元気だったあの時代だから生まれた言葉」キメ台詞誕生秘話と「あばよ」をやめるのを止めた大物俳優_4