イエスは仏教徒だった?
本村 最初にお話ししたとおり、現代人の多くが当たり前だと思っている近代的な価値観は、人類にとって決して普遍的なものではありません。実際、さまざまな宗教が、近代合理主義や啓蒙主義とは相容れない教義や習慣を失うことなく、現代も生き続けています。
佐藤さんがご指摘されたとおり、宗教をベースとしたロシアと西側諸国の「価値観戦争」も、キリスト教を抜きに理解することはできません。
だからこそ日本人もキリスト教や一神教について知る必要があるわけですが、そこでぜひ取り上げておきたい本があるんですよ。『イエスは仏教徒だった?~大いなる仮説とその検証』(エルマー・R・グルーバー、ホルガー・ケルステン/岩坂彰訳/同朋舎)です。
邦題がやや怪しげなので眉に唾つけて見る人もいるでしょうけれど、西洋と東洋の宗教的なつながりを考える上で非常に面白い本だと思います。
佐藤 ドイツ語の原題は『DERUR-JESUS』、英語だと「オリジナル・ジーザス」ですから、日本語なら「原イエス」もしくは「イエスの原点」といったような意味合いですね。
本村 僕も含めて、キリスト教と仏教に何か関係がありそうだと聞くと、なんとなく腑に落ちる日本人は多いと思うんですよ。実際、僕がこの本をトンカツ屋で読んでいたら、帰り際にレジの女の子がおずおずと「その本、面白いですか?」と聞いてきました(笑)。「そのテーマに興味があるんです」と。
佐藤 たしかに、「わが意を得たり」と感じる日本人は多いでしょうね。
本村 たとえば新約聖書のマタイ伝には「汝の敵を愛せよ」というイエスの言葉があります。でも、しょっちゅう戦争をしているキリスト教圏の様子を見ていると、日本人は釈然としないわけです。
むしろ、その言葉に仏教的な雰囲気を感じる人は多いでしょう。もちろん仏教徒だって戦争やテロをやるわけですが、「原罪」に象徴されるようなキリスト教の厳しさとイエスの「慈愛」のあいだに、なんとなく違和感を抱くんですよ。
そこでこの本を読むと、もちろん「イエスは仏教徒だった」とまで言い切る気にはなりませんが、イエスが仏教的な考え方に触れていたとしてもおかしくはないと思えるんですよね。実際、触れることは可能だったわけです。
佐藤 古代インドから西側まで、仏教が伝わっていたということですね。
本村 そうです。紀元前3世紀に、マウリヤ朝のアショーカ王が大勢の使節を派遣していました。アショーカ王は、カリンガ国を征服することでインドをほぼ統一しましたが、その戦争は数十万人の犠牲者を出した。それを深く後悔した彼は、武力征服政策を放棄して、仏教のダルマ(法)に基づく政治を行うことを決意したんですね。そして、自分の考えを広めるために、各地に碑文を刻ませました。
佐藤 いわゆる「アショーカ王法勅」ですね。
本村 そうです。その法勅には、過去の自分がいかにひどい為政者だったかということも書かれているんですが、これは世界史の中でも稀なことだと言われているんですね。為政者が自らの行為を悔やんでいることを宣言したわけですから。
佐藤 少なくとも現代の日本ではお目にかかったことがありませんね(笑)。