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想定されなかった後継者

では、池田大作の死は、創価学会にとっていかなる意味をもつことになるのだろうか。

それは、組織を実際に率いている実務的なリーダーの喪失ではない。したがって、組織の運営が即座に立ち行かなくなったり、支障を来たすということはないであろう。布教活動に直接の影響が出ることもない。

後継者争いが起こることも考えにくい。名誉会長という職は池田のために作られたもので、一代限りである可能性が高い。今後、他の人間が受け継ぐとは思えない。「池田大作先生」という呼び方も同じで、今後、創価学会に新しい「先生」が生まれる可能性はほとんどない。

国際組織であるSGIでは、最期まで会長の地位に留まったものの、国内の創価学会の組織とは異なり、会長が実際的な役割を果たしていなかったので、ここでも後継者争いは起こり得ない。

SGI会長については、長男の博正が継ぐ可能性も考えられるが、博正にカリスマ性はほとんどなく、海外の会員たちが、新しい会長を崇拝の対象にすることはないだろう。

後継者争いが起こらないということは、池田に後継者がいないという意味でもある。そこには学会の構造的な問題が関係している。

創価学会では、何よりも師弟の関係が重視されてきた。「師弟不二」という特有の表現で、師と弟子とが分かち難く結びついていることが強調されてきた。ここで言う師とは、戸田城聖にとっての牧口常三郎であり、池田大作にとっての戸田である。

会則にも、創価学会の信仰は、師から弟子へという形で、初代の牧口から戸田、そして池田へと三代の会長に受け継がれてきたと明記されている。

池田が三代会長の座を退いたとき、四代会長になったのは北条浩で、北条の急逝の後には、秋谷栄之助が四半世紀のあいだ会長を務めた。そして、2006年には六代目となる原田稔に受け継がれている。

だが、四代目以降の会長は、三代目までとは根本的に性格が違う。北条から後の会長は、実務を総括することを役割としており、宗教的な指導者というわけではない。宗教的な面は、名誉会長としての池田が担ってきたからである。北条以降の会長は先生と呼ばれることはない。

そもそも、会則で牧口から池田までの師弟不二の精神が強調されているように、池田の後にカリスマ的な指導者があらわれることを、創価学会は想定していない。

池田大作の死は、創価学会にとっていかなる意味をもつことになるのか。師弟関係の重要性を強調してきた学会が突入する「師なき時代」_1
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天皇家なら、天皇という地位は血筋で継承されていく。だが、創価学会では、継承は師弟関係を通してなされるものの、池田には、後を託せるだけの一番弟子がいない。そこが、牧口や戸田と池田の異なる点である。博正が後継者になれない理由のひとつは、彼にとって池田は父親であり、師ではないからである。

伝統芸能の家では、実の親が師になることはある。だが、博正は一度も池田のことを自分の師とは呼んでいない。池田の死を伝えるビデオメッセージでは、最初池田のことを「池田先生」と呼んだが、後の部分では「父」と呼んでいた。

池田の生前、父親の代わりに海外に出向き、授賞式に出席したり、スピーチをすることもあったが、それはあくまで代理としてで、彼は「名代」にすぎないのだ。