鎌倉で一番古い和菓子屋
坂ノ下の「力餅家」は鎌倉で一番古い和菓子屋だ。創業は約三百年前。三百年前といったら江戸時代で、徳川吉宗が将軍だった頃である。
店舗は極楽寺から長谷への切り通しの坂が終わったところにある。築七十年の平屋のバラック小屋と、横書きを右から左に読ませる「老舗 力餅家」の大きな暖簾は、鎌倉を象徴する景色の一つ。CMや映画に度々登場しているから、見たことがある人も多いと思う。小屋は太平洋戦争の後にあり合わせの材料で急拵えしたものをそのまま使い続けているそう。暖簾は書家によるものだ。
こちらの看板商品はなんといっても「権五郎力餅」。餅にアンコが乗っただけのシンプルなものが実においしいのは、アンコも餅も余計なものが入っていない自然な味わいだからだろう。代々の職人によって創業以来の製法が守り続けられている。
暦の上で春になる頃には権五郎力餅が草餅になる。冬の間、これが待ち遠しい。私はかつて目新しい物事を追いかけ、未知のものの体験に情熱のほとんどを注いでいたけれど、最近は毎年同じ時期に同じものを味わうことに心を砕くようになった。そして、それはあまり凝ったものではなく、シンプルなほうがいい。その方がより鮮やかに季節を感じられるから。
ささやかなヨモギの苦味を含んだ緑色の餅の味は私にとって春の訪れを体感させてくれる一品。サイズが小さいので、一度に二、三個は食べてしまう。とっておきの緑茶を淹れ、春の味覚を噛み締める。いつもの権五郎力餅ならコーヒーでもありだと思うけれど、草餅に限っては絶対に緑茶、もしくはお薄。少し前まで草餅の開始は三月だったが、年が明けると「よもぎはまだか」という声が多く、立春の頃からのスタートになったそう。その気持ち、よーくわかる。私にとっての春はもっとも待ち遠しい季節なのだ。
松の内が明けて少し経つと啓翁桜が届き、それが花を咲かせる頃に力餅屋の草餅が始まり、立春の日には朝搾りの日本酒をほんの少し嗜み、ふと気になって庭を探すとフキノトウがちらほら現れる。私の春の始まりはいつもこんな感じだ。毎年の繰り返しが楽しい。