プーチン政権と友好的な政治家3人と脅威を無視した外務省
それは日本政府が「プーチンの機嫌を損なうと北方領土返還が遠のく」と勝手に思い込んでいたからだが(もとよりプーチンは領土を一部でも返還するとは一度も言っていない)、その流れでプーチン政権に接近する政治家もいた。なかでも森喜朗元首相はプーチンとの友情をことあるごとに自慢しており、プーチンと27回も会談した故・安倍晋三元首相もその信頼を繰り返し言葉にしていた。
安倍政権にロシア問題の助言者として重用された鈴木宗男議員も、プーチンを「信頼できる人物だ」と常に持ち上げてきた。こうした政界の実力者たちのプーチン賛美が、日本政府全体に忖度する圧力をもたらしたのだ(※ただし、いちばんの責任は、その程度の忖度でプーチン政権の脅威をきちんと政府内でとり上げなかった外務省にあると筆者は考えている)。
そして、そんな政府筋の情報源を取材する報道各社も、必ずしもプーチンの危険性について十分に報じてきたとは言えない。したがって日本国民の中には、ウクライナ侵攻で初めてプーチンの脅威を認識したという人も少なくなかったようだ。
しかし、プーチンの暴力性はウクライナ侵攻のはるか以前から、明らかだった。プーチンはもう20年以上も前から、自分たちの邪魔になる人物、民族、外国の人々を殺戮し続けてきており、そのことは欧米主要国では広く知られていた。民主主義陣営で日本だけがプーチンに極端に甘かったと言ってもいい。
例えばプーチンは1999年に首相に就任した直後、ロシア軍にチェチェン侵攻を命じ、その戦いを10年間も続けた。この戦争で殺害されたチェチェン人は少なくとも4万人以上。そのなかには反体制派でもない一般住民が3万人以上もいた。彼らはプーチンに殺害された犠牲者だ。