言いたいことを言えずに過食嘔吐
野中絵里子さん(仮名・48)は幼稚園のころから、父の仕事の都合で引越しをくり返してきた。そして新たに行く先々で「求められる自分」を演じてきたという。
例えば、小学校低学年を過ごした福岡では男子を追いかけまわす「裏番長キャラ」だった。転入当初、机の中にカエルの死体を入れられるなど嫌がらせをされ、「ここでは強いほうがいい」と感じたのだ。
小5で東京に移ってからは学級委員も進んでやる「真面目な優等生キャラ」だった。そうすると母親が喜んだからだ。野中さんはずっと母親の目を気にして生きてきたという。
「小学生のころは髪の毛を母に切ってもらっていたんです。兄には『猿みたい』ってからかわれたけど、母が大好きなマッシュルームカット。洋服も母が着せたい服を着る。それがいいんだと思って、疑ったこともなかったですね」
高校生になると、身体に異変が起きた。
朝起きると頭痛がして、ひんぱんに熱も出るように。鼻血が止まらなかった時期もある。本当は共学に行きたかったのだが、教師からも両親からも大学付属の女子校を勧められ、自分の思いを押し通せず引っ込めてしまった。
言いたいことを言えないストレスが原因だったと今ならわかるが、当時は自分でもどうしていいかわからず、過食嘔吐に走った。
「学校は陰気で空気が重いし、生徒はすごいインドアな感じの人か、渋谷で合コン三昧みたいな人ばかりで、話も合わない。高校がつまんないから、いっぱい菓子パンを食べて(笑)。
朝、コンビニ寄って菓子パン2つ買って、お弁当の前に食べる。放課後はファーストフードにバイト行って、余ったハンバーガーを持って帰って公園で食べてから、家帰って夕飯食べて、みたいな。お腹もいっぱいになるし、お手洗いに行っては吐いていました。それがおかしいとも思ってなかったですね」
過食のせいで6キロ太ったので、母親も娘の変化に気が付いていたと思うが、何も言わない。バイト先でタバコを覚えて、自室で隠れて吸った吸い殻をカンカンに入れて机にしまっていたのだが、ある日帰宅したらきれいになっていた。
だが、やはり母親は何も言わない。よく一緒にお茶を飲みには行ったが、そこでも重要な話はしない。
「言えよって思うけど、母も自分の親と深く話すことをしないで育ったみたいで、私とどう関わっていいのかわからなかったんでしょうね。私も自分の思いは言えないままだし、母も私の内面には踏み込んでこない。母には栄養バランスに気を配った手料理で育ててもらっているし、ずっと心配されているのはわかるので、なんか、私は常に罪悪感がありましたね」