CDを手売りしてでも生き残ろうとしていた

–––ソロとしてデビュー10周年……さらに遡ると2004年にファンモンを結成していますが、ミュージシャンとして長く続けてこられた要因はどこにあるのでしょう? やっぱりファンからの愛が大きい?

もちろん、愛を持って応援してくれるファンの方々が背中を押してくれた、というのが第一です。あとはなんだろうな……ここは自分でもうまく言語化できない部分なんですが、特にライブにおいては、本当に“命を削って”歌ってきたなという感覚があります。

やっぱりステージのど真ん中で、スタンドマイクを握って歌うカリスマミュージシャンたちのことを、僕は心からうらやましいと思っていて。僕らは“持たざる者たち”だったんで、昔からとにかく必死だったんですよ。「爪痕を残さなきゃ」という不安とネガティブな感情が常につきまとっていました。

当初は間違った方向に舵を切って、機材に登ってライブハウスのスタッフさんに激怒されたり、ステージから飛び降りて靭帯切っちゃったりもしましたが(笑)。

「俺がファンキー加藤だ!!」ソロデビュー10周年・命削って歌ってきた加藤が振り返るFUNKY MONKEY BABYS時代「一見ダサいことも、生き残るためにがむしゃらにやった」_2

–––そういう時代もあったんですね。

たとえば、ケツメイシさんとかRIP SLYMEさんとかKICK THE CAN CREWさんに影響を受けた僕らみたいなのは山ほどいて、当時ものすごい数のグループがデビューしたんです。2005年~2007年あたりかな。そのアーティストたちと差をつけなきゃいけなかったので、ほかのグループがやってないこと、ほかが避けるようなことを追求してやっていましたね。

それこそショッピングモールでCDを手売りするような、僕らみたいなジャンルのアーティストからすると「ダサい」と見なされることも、率先してやりました。

そう振り返ると、本当に生き残るためにがむしゃらでしたね。そのときの熱量や経験値、やってきたという自負が、今日まで続けてこられた理由のひとつかなとは思います。

–––先程の発言にもありましたが、加藤さんはネガティブなんですか? 

そうなんですよ。ファンモンでいうと、モン吉とDJケミカルがすごいポジティブで、僕だけ基本的にネガティブ。モン吉に至っては本当にポジティブで、「CDリリースしてデビューすれば、すぐ武道館出られるでしょ?」みたいなよくわからない自信に満ち溢れていて(笑)。

でも彼らのそういう部分に、僕は救われていましたね。

–––そうすると、現在はポジティブなマインドを保つにも苦労しそうですね。ソロで活動するうえで、モン吉さんやDJケミカルさんにいろいろ相談はしましたか?

いや、それはなかったですね。意地張って意識的に遠ざけていた部分もあって……でもそれは悪い側面だけではなくて、グループにはない「1人で踏ん張り続けているぞ!」という充実感も大きくて。俯瞰で見て「俺、頑張っているな」と思うことも、僕にとってはモチベーションになっていました。