前代未聞のスタートアップデリヘル、その天国と地獄

──経営は上手くいきましたか?

はい。初月から黒字でした。

──風俗店の立ち上げは難しいと聞きます。

立ち上げの難しいところは、お店が認知されなくて電話が鳴らないことです。それが原因で9割のお店が半年以内に潰れてしまうと言われています。

私の場合は、池袋の風俗嬢として働いていたころのお客さんがいたので、店長兼プレイヤーとして「予約した女の子が当日欠勤した場合は代打で私がいきます」とか「お店を3回利用したら私を指名できます」というキャンペーンをしていました。

以前から私のことを知ってくれてる方が、「もしかしたら、まりてんさんと遊べるかもしれない」と思ってくれて、初月から集客をすることができました。

思い入れがあるという池袋のラブホ街
思い入れがあるという池袋のラブホ街
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──人気者ならではの力技ですね。その後も、お店の経営は順調だったのでしょうか?

2年半ほど続けることができました。運営のスタッフも6人になって、女の子も50人ほど在籍して、シティヘブンの池袋の人気お店ランキングで1位をキープできました。ただ、私自身のメンタルに問題が出てきて…。

──と言いますと…??

立ち上げたお店は、風俗嬢のセカンドキャリアの場になればいいなと思っていたんです。だから運営スタッフ全員、元風俗嬢の子たちで。でも、社内で誰かがお金を盗んだとか、いきなり会社をやめるスタッフも出たりとか、トラブルが発生するようになりました。「私にはここのお店しかない」と言いながら他のお店で働いているキャストもいたり。

そんなの風俗業界では当たり前なんですが、人間不信になってしまいました。お客さんはリピートしてくれたら自分のことを好きでいてくれてるとわかるので信頼できるのですが、女の子の場合は何を信頼していいのかわからなくなってしまって…。

──それで経営はやめられたのでしょうか?

メンタルに限界が来て、ある日、営業終わりの深夜0時半ころに事務所があるビルの5階から飛び降りようとしたんです。そしたら警察の人に見つかって、そのまま池袋署に連れてかれました。夜中なのに実家のある愛知から親が車で迎えに来てくれて、そのまま愛知の精神科に連れていかれて入院することになったんです。

風俗店の経営を断念し、精神科に入院することになったまりてんさん。はたして、そこからどのように全国No.1風俗嬢へと上りつめていったのだろうか。後半では、その復活への過程について話を聞いた。

#2へつづく

#2 「ピロートークは懺悔部屋」まりてんが、“全国No.1風俗嬢”なれたワケ

文/山下素童 写真/Keigo