オホーツク海の氷山のように波に流されている


飯田町の海沿いに住む運送業の男性(59)は津波から避難し、被災後初めて戻ってきた自宅の惨状に唖然としたという。

「避難所にいてもやることねえから戻ってきたんだけど、もう何から手をつけていいかわからねえ。水が玄関部分にまで侵食して冷蔵庫は使いものにならねえし、タンスもひっくり返っとる。とりあえず元日の夜に親戚と食べる予定だったおせちと寿司を、腐るからと思って処分してたとこだ。

それと今日、一緒に住んでいた親父が金沢に避難するっていうんで、これまで親父が大事に育ててきた文鳥を逃がしたんやけど。この状態じゃ世話もできねえからな。でも、やっぱりここにいたいんかな、なかなか飛んでいかなくてな...。オヤジは『おう、(文鳥を)自由にしてやれ』と言ってたけど、俺は弱いから、その瞬間に涙が出てきてな...。やっぱり長年一緒にいたペットを失うのは本当にツラいよ」

文鳥がいた鳥かご(撮影/集英社オンライン)
文鳥がいた鳥かご(撮影/集英社オンライン)

男性はたびたび涙を滲ませながら、地震当日の津波の様子も振り返った。

「孫たちと近くの堤防で釣りをしていて、夜から親戚一同で集まる予定だった。でも、孫たちと自宅に戻ってすぐに、これまで体験したことのない地震が来てな...。最初の揺れは大したことなかったけど、外に様子を見にいこうとしたときに2回目の地震がきて、咄嗟に電柱につかまっても立ってられないほどの揺れで飛ばされて転がったんだ。その瞬間に津波を予感したし、珠洲市の防災無線で『津波が来ます、早く逃げてください』とアナウンスがあったから、親戚全員で車に乗って高台にすぐに逃げたよ」

津波によって流されたトラック(撮影/集英社オンライン)
津波によって流されたトラック(撮影/集英社オンライン)

いったんは避難したものの、持病のある父母の薬を取りに自宅に戻ろうとした男性は、今まで感じたことのない恐怖にとらわれた。

「自宅に帰ろうとしたら、とんでもない光景が広がっていた。堤防のほうから、高さ1メートルは優に超える波がサーッと押し寄せてきた。津波といえば、ザザザーっと大きな波音を立ててくるもんだと思ってたけど、全然静かで、それがまた不気味だった。

雪を一カ所に集めた5メートル四方ぐらいの雪山があったんだけど、それがまるでオホーツク海の氷山のように波に流されているのも見えて、唖然としたよ。幸い、津波が来る前に近所の住民もみんな避難できたけど。俺は運送業だからよ、まったく仕事が再開するメドも立ってねえ。本当に不安な気持ちで一杯だよ」

また、グループホーム勤務という女性(64)も途方に暮れていた。

「ご覧の通り私の家も津波でしっちゃかめっちゃかだよ。まぁ、それでも片付ければ住めそうだから壊れたり崩れたりした人たちよりはまだマシだったと思うよ。

仕事は1月3日から出勤してる。私はケガもなく動けるわけだから、来て欲しいって職場から言われたからね。職場の同僚にも家が倒壊したり大変な目にあって仕事ができない人もいるし、もっともっと大変な人たちはたくさんいる。そう思うと働かなきゃな、ってなります。今は道の状況も悪いし渋滞もひどいから、職場まで車で2時間くらいかけて通勤しています。職場も地震の被害を受けていて、入居者をひとつの施設に集めたり、イレギュラーなこともあります。でも認知症の方もいますから、食事や排泄の世話も誰かがやらなきゃ困ってしまいますしね」

漁師を休業中だったというこの女性の夫は、津波で自分の船も失ってしまったという。

「それもあって私が働かなきゃって思ってるわけ。周りの被災者もけっこう働いてるよ。私も体育館で避難生活してて、配給された水を沸かしてカップヌードルなんかを食べたりしてるけど、ぐっすり眠れるわけもなくて。でも、もっとひどい目にあってる人もいるからね。ただ、やっぱりお風呂に入りたいわね。着替えは家に戻ればできるけど、今はまだお風呂は入れないから。本当は家族でゆっくり温泉でも行きたいんだけどね」

津波により多くの船がひっくり返されていた(撮影/集英社オンライン)
津波により多くの船がひっくり返されていた(撮影/集英社オンライン)
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班