「まるで歌舞伎の見得をするようでした」

社会部記者が振り返る。

「公判に現れた猿之助被告は細身の黒いスーツに紺のネクタイという姿で、短く刈り込まれた髪の毛には白いものが混じり、体も一回り小さくなったように見え、一瞬本人とはわからなかったくらいオーラが消え失せていた。量刑が言い渡されると、被告席の弁護人たちに深く一礼した後、検察側を向き、お辞儀をしたのですが、それまで伏し目がちだった目をかっと見開き、まるで歌舞伎の見得をするかのようでした」

7月31日、保釈された際の市川猿之助(写真/共同通信社)
7月31日、保釈された際の市川猿之助(写真/共同通信社)
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有罪判決が下された後、松竹は「市川猿之助のこれまでの歌舞伎界への貢献に照らせば、本人を是非支えて参りたいと存じますが」と前置きをしながらも、「今後につきましては、現時点ではまったく白紙の状態でございます」とコメント。猿之助は所属していた芸能事務所(ケイファクトリー)との契約も解除し、長年勤めていた京都芸術劇場・春秋座の芸術監督も退任した。

事実上の「孤立無援」となっていた猿之助だが、“最後の砦”も彼に三行半を突き付けていた。

芸能関係者が言う。

「猿之助のファンクラブ『Kame Pro Club』が『解散』を決定したのです。12月初旬には会員たちに決定を知らせる手紙が配送され、すでに年会費の返還も始まっています」

2011年、猿之助襲名時の記念撮影。父、段四郎や中車らと共に笑顔の猿之助
2011年、猿之助襲名時の記念撮影。父、段四郎や中車らと共に笑顔の猿之助

会員に配布されたファンクラブからの手紙はこうだ。

「今回の事件における市川猿之助の責任は、このような皆さまのご支援を受けていたにも関わらず、起こしたものであり、社会的責任にも重いのがあります。これら社会に及ぼした影響、Kame Pro Clubの理念と規約、何より皆様の信頼を失ってしまったことを考え、本ファンクラブの運営は不可能と判断し、本ファンクラブ規定に基づき11月17日付でKame Pro Clubの解散を決定いたしました。
(中略)
市川猿之助については、今後の人生を全うして欲しいと考えておりますが、今後の猿之助の活動については、本ファンクラブとして一切関与しないことをご了承ください」