2か月ぶりの公の場
今回の初公判では、7月31日の保釈以来、表舞台から姿を消していた猿之助被告が、実に2か月ぶりに公の場に出たこととなる。
9月13日には、猿之助被告の伯父であり、「猿之助」の大名跡を譲り受けた二代目市川猿翁さん(享年83)が心不全で亡くなり、その後、通夜と葬儀が行われた。さすがに猿之助被告も弔問には姿を見せるのではと思われていたが……。
「葬儀と通夜は寺の周囲や駐車場を数台のトラックやバスで囲んで見えないようにするというマスコミ完全シャットアウトの超厳戒態勢で行われた。松竹や歌舞伎の関係者に聞いても『(猿之助が)来た、とも、来なかった、とも言えない』という、木で鼻をくくったような答えだった」(スポーツ紙記者)
だが関係者筋によると、これには深い事情があったという。
「猿之助さんは通夜にも葬儀にも来なかったんです。というのも、自分が来るとニュースではそれが大きく取り上げられてしまう。偉大な“三代目猿之助”の野辺送りがそれでは、歌舞伎界にも一門にも先祖にも申し訳がたたない、と思ったようです」(同前)
弟である段四郎さんの後を追うように亡くなった猿翁さん。「スーパー歌舞伎」の創立者であり、歌舞伎界に新風を吹き込んだ「革命児」として知られた彼は、03年に脳内出血で倒れた後、体調不良が続き、舞台に立つことはほとんどなくなっていた。晩年は、意識がないことも多かったという。歌舞伎関係者がこう話す。
「猿翁さんは誰に看取られるということもなく、本当に、いつものように眠っている間に息を引き取った。そういった状態だったため、弟の死も、甥が起こした事件のことを知らぬままに旅立った。かえってよかったといえるかもしれません」
事件の後、猿之助被告は一か月という長期間の勾留の後、保釈。その後は、一時入院を経て、事件現場となった自宅へと帰っていたという。
「猿之助さんはとてもひとりにしておける状態ではなく、現在は一門のお弟子さんたちがついて、かわるがわる面倒をみているそうです」(前出・歌舞伎関係者)