2008年の『告白』(双葉社)刊行から15年。
湊かなえさんの作家生活を振り返る記念本が集英社文庫から刊行されました。
あの名作たちの裏側から、書き下ろし小説まで。湊さんの華麗で怒濤の15年が詰まった、盛りだくさんの記念本です。
本誌では、湊さんが「神様のような存在」と語る池田理代子さんとの対談の一部をご紹介します。
池田理代子×湊かなえ
「私、先生でできてます!」
(本書掲載「特別対談」の一部を抜粋)
『ベルばら』との出会い
湊 先生の第一歌集『寂しき骨』を読ませていただきました。先生は中学生の頃から短歌を詠んでいらっしゃったんですね。
池田 そうですね。あの頃は短歌もですけど、小説も書いていて、毎週クラスに回して、来週に続くって。
湊 わあ、すごい。連載されていたんですね。同級生になりたかったです。『ベルサイユのばら』をはじめとして先生の作品は本当に絵がお美しいし、行ったことはもちろん、映像などでくわしく見たこともないけれど、こういう豪華な世界があったんだって異世界の体験ができました。
まずは絵の魅力から入っていったのですが、思い返すと一つずつの言葉が立ち上がってきて、何かの拍子に先生がお書きになった台詞がぱっと出てくる。先生が短歌を詠まれていたと知って腑に落ちたんです。心に言葉が刻まれたのは、短歌のリズムで入ってきたからかもしれないな、と。
池田 そうかもしれませんね。私にとってはストーリーと言葉がとっても大事で、よく編集者とやり合いました。「この言葉は子どもには難し過ぎるんじゃないか」と言われて、「大丈夫です、わかります」って。
湊 連載は「週刊マーガレット」でしたね。私は一九七三年生まれなのでリアルタイムでは読んでいなくて、漫画よりも先にアニメに触れました。でもそのときは小学校の低学年だったので理解が追いつかないところもあって、漫画を読んでハマったのは中学生になってからです。
ある雑誌に好きな漫画や小説の一言を読者から募集したページがあって、『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネットの台詞「不幸になってみてはじめて人間はじぶんがなに者であるかわかるものなのですね…」を挙げている人がいたんです。その一言で読んでみたいと思い、『ベルサイユのばら』を全巻読みました。
池田 ありがとうございます。
湊 中学生だったので、もう本当に全てが心にしみ込んで。マリー・アントワネットの台詞もそうですし、オスカルの「自由であるべきは心のみにあらず!!」という台詞。「人間はその指先1本髪の毛1本にいたるまで、すべて神の下に平等であり自由であるべきなのだ」。そうなんだよ、それが自由なんだよって。大人になってすごく思い出すフレーズがいっぱいあって、私、『ベルサイユのばら』でできてます。
池田 うれしい。スペインにサラマンカ大聖堂という世界遺産があるんですけど、そこで歌ったことがあるんです。歌い終わったあとに、スペインの二〇代くらいの女の子が私のところにやってきて、涙うるうるで「私のすべては『ベルサイユのばら』でできています」って。
湊 同じです! 私が生まれ育ったのは、今住んでいる淡路島よりもさらに小さい広島県の因島なんですけど、子どもの頃は島から出たことがなくて、東京というだけでも別世界でした。『ベルばら』は国も違うし、時代も違う。だけど忘れられない台詞や場面がたくさんありました。きっとスペインの女の子も私と同じで、自分がいつの時代のどこにいるかなんて関係なく感動したんでしょうね。
池田 あのときは私も『ベルばら』を描いてよかったなって心から思いました。
構成=タカザワケンジ/撮影=露木聡子
※対談の続きは本書をご覧ください。