「ここを撃てばいい。ここを撃てば必ず死ねる」
遺族が哀しみのコメントを出してから1カ月が経つが、凄惨な事件現場の「青木家」の周囲には、いまなお規制線が張られていた。田園地帯にポツンと建っている家はまったく人の気配がしないが、荒れ放題というわけではなく誰かが手入れを行っているようだ。
近くに住む女性は困惑を隠せない。
「事件後、政憲くんのご両親はどこか別のところで生活しているみたいです。たまに自宅に帰ってきて草刈りをしたり、家から荷物を運び出しているようですが、どこで何をやっているのかは知りません。ジェラート屋の方は店名も変わり、噂ではオーナーも変わったと聞いています。ご両親が2人で自宅に帰ってきたところを見かけたことはありますが、こちらから声をかけていいものかもわからず、挨拶はできませんでした」
青木被告の母親の親族も、痛々しい様子だった。
「事件の後は誰とも連絡はとってないんだ。10年以上前に政憲のおばあちゃんが亡くなったとき、葬儀で会ったのが最後でずっと話もしてなかった。だから、何があったのかなんてまったくわからない。政憲のことは報道で鑑定留置も終わったって見た。もう諦めてるんだよ。4人も…、あれだけの事件を起こしたんだ。もう諦めている…」
青木家の古くからの知人にとっても、事件は青天の霹靂だった。
「政憲が事件を起こしてから本当に世界は180度変わってしまったと思っています。私は昔から政憲もその両親も知っています。もちろん一番つらいのは遺族の方たちですし、一番に大切にしないといけません。しかし政憲のしたことは被害者やその遺族だけでなく、加害者の親族も苦しめています。母親は事件のあった夕方の時間帯になるとフラッシュバックのようなことが起こり、いまだに眠れぬ夜を過ごしています。通院を続けていて、精神的にも追い込まれています」
青木被告は自宅で籠城していたとき、自殺するために母親を利用しようとしたという。
「政憲がうつぶせになって、『ここを撃てばいい。ここを撃てば必ず死ねる』と母親を促したそうです。でも『私には撃つことがどうしてもできなかった』と母親は言っていました。母親が息子を撃つなんて……、そんなことできるはずないですよね。
事件を起こすまで、母親は政憲が特別な孤独感を募らせていることにまでは気づいてなかったように思います。ふだん対人関係がうまくいかない政憲を心配はしていましたが、それは親なら誰もが心配することで、まさかあんなことをするなんて夢にも思っていなかったはずです」