ドラえもんの存在が手術を支えた

手術は、自宅から近い病院のほうが何かと安心だ。そう考え、入院先には東京の慶應病院を選んだ。

手術の日、僕はストレッチャーに乗せられたカミさんを笑顔で見送った。

「ペコ、頑張れよ」

「うん、啓介さん、行ってくるね」

静かに閉じる手術室の重い扉。無理にでも笑っていないと、不安で押しつぶされそうだった。それは彼女も一緒だったのかもしれない。

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手術前、カミさんは不安そうな顔や、辛そうな表情を僕に見せたことは一度もなかった。でも、本当は夜の病室で一人、涙が止まらなかったのだという。

「もしかしたら、あたし、死んじゃうのかなって思ったら、怖くて仕方なくて……。でもね、啓介さんのほうがどんどんやつれて、口数が少なくなっていくんだもん」

その彼女が明かしてくれたのは、手術の後――。やっぱり、僕を気遣って笑顔を作ってくれていたんだ。なんだか自分が情けなく思えてくる。そして彼女は、こうも話していた。

「病室に連れてきたドラえもんのぬいぐるみに、『せっかく22年もアンタと一緒に楽しくやって来たのに、私だけいなくなったら、アンタどうするの?』って尋ねてみたのよ。そうしたらね、なぜか涙が止まらなくなって、ワーッて泣いちゃった。

でもね、のび太くん、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫は22年間、ずーっと同じ仲間でやってきたでしょ。だから、あたしだけが、どこかに行っちゃうなんてできない、できるわけがないって。そう思ったら、『ガンになんて、負けないぞ!』って急に勇気が湧いてきたの」

愛する“息子”であるドラえもんの存在があったからこそ、カミさんは手術への恐怖を乗り切れたのだ。もちろん、ドラえもんのぬいぐるみは、しゃべらない。でも、入院中ずっとカミさんを見守り、励まし続けてくれていたのだと思う。

彼女にとってのドラえもんの存在が、こんなにも大きいものだとは……。このとき、そのことを改めて実感せずにはいられなかった。