妻・大山のぶ代との馴れ初めは1963年
あの日ひらめいた僕の直感は、大当たりだった。
僕とカミさんが出会ったのは、1963年。オリンピックを翌年に控えた東京の街。
どこもかしこも工事の音が鳴り響き、新しい時代の幕開けを感じ焦る空気の中で、僕たちの運命は大きく舵を切った。
当時、26歳だった僕は、NHKの朝の幼児番組『うたのえほん』に「体操のお兄さん」としてレギュラー出演していた。
『うたのえほん』は驚異的なまでの人気を誇り、視聴率40%を記録することも。いつしか、三角帽子にピタピタのコスチュームで踊る僕は、子供たちだけでなく母親や若いOLからもアイドル並みの人気を集めていた。同時に歌手、俳優としても少しずつ活動を始めた頃だった。
一方のカミさんは、俳優座養成所を出た後、時代劇やコメディに出演する傍ら、海外ドラマや人形劇の吹き替えまで幅広く活動していて、個性派女優としての地位を固めつつあった。今でいうマルチタレントのようなものだ。
彼女の数多い仕事の中でもよく知られているのが、NHKの『おかあさんといっしょ』の中で演じられていた人形劇『ブーフーウー』のブー役だろう。子豚の三兄弟が騒動を繰り広げるこの人形劇は、子供たちに大人気。ちなみに、ウー役の黒柳徹子さんとカミさんとの仲は、このとき以来、長年にわたりずっと続いている。
同じNHKの幼児番組で人気が出た者同士、縁があったのだろうか――。僕たちは、ミュージカル『孫悟空』で共演することになった。主役が僕で、恋人役のヒロインがカミさん。二人とも演じるのは猿の役だった。
初めて会ったときから運命を感じて……と言いたいところだが、残念ながら僕の彼女への初対面の印象は、あまりよくない。
というのも、あろうことか、カミさんは僕をまったく知らず、「蕎麦屋の出前のお兄さん」だと思い込んでいたというのだ。しかも、小柄で筋肉質だった体型からなのか、それとも少し軟弱な雰囲気がしたからなのか、僕のことを「オカマ」だと勘違いしていたのだというから、心中穏やかじゃない。
結局、その後すぐに「オカマ疑惑」は晴れたのだが、きっと彼女の方も、出会ったばかりの頃は僕を男として、まったく意識していなかったことだろう。