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幸せな夫婦を襲った直腸ガンの宣告

「あたしね、ガンなんだって。やっぱり……」

電話口のカミさんの声が、遠く響いた。

あまりにも突然すぎる言葉に、僕はうろたえることしかできなかった気がする。

「でもね、ガンって言ったって、すぐにどうこうなるわけじゃないのよ……。3年や5年は大丈夫だし、チョン切っちゃえば悪いところはなくなるはずよ」

淡々とそう話す彼女に、なんと返事をしたのかさえ覚えていない。

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大山のぶ代さん(共同通信)
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2001年4月、カミさんは直腸ガンの宣告を受けた。

ガンを発見できたのは、人間ドックのおかげだ。この頃、僕たち夫婦は毎年春、懇意にしている姫路にある個人病院で人間ドックを受けていた。

姫路は二人にとって思い出の地。結婚前から、車にカミさんを乗せて旅行に出かけていたものだ。それに、食いしん坊の彼女にとっては、検査の後、瀬戸内海の新鮮な魚介などの美味しいものを食べて歩くのが、何よりの楽しみになっていたのだ。

だから、日頃仕事で忙しく、なかなか一緒に過ごす時間がない僕たちにとって、この「人間ドック旅行」は、年に一度の恒例行事のようなものだった。

人間ドックを毎年受けていたのには、もう一つ大きな理由がある。
カミさんは、高校3年生で母親を子宮ガンで亡くしていた。だから、カミさんにとって、ガンは身近な恐怖だったのかもしれない。

ただ、30代の半ばから続けてきたこの恒例行事も、年とともにだんだん億劫になってくる。特に食事制限をしたり、何かと事前準備が大変な腸の検査は、パスしがちになっていた。

でも、この年、なぜか僕はカミさんに言っていた。

「今年は腸の検査、やっておいたほうがいいんじゃないの?」

なぜ、そう口にしたのか、自分でも覚えていない。もしかしたら、第六感というやつが働いたのだろうか。

再検査の結果、カミさんの直腸には腫瘍が見つかり、すぐに手術を受けたほうがよいと薦められた。それまで、自覚症状はまったくなかったという。まさに青天の霹靂だ。

それにもかかわらず、電話で結果を知らせてきたカミさんの声は驚くほど冷静だった。

それどころか、告知を受けた直後には「入院する間、『ドラえもん』の収録スケジュールは大丈夫かしら」などと考えていたのだというから、見上げたものだ。

一方、僕は完全に取り乱していた。受話器を握りしめながら脳裏に浮かぶのは、瘦せ衰えて病院のベッドに横たわるカミさんの姿――。

「まったくもう、これじゃ、どっちが病人なんだか……」

すっかり狼狽している僕の様子に、電話口の向こうでカミさんはちょっと呆れていたらしい。今思えば、この頃から僕は、頼りない亭主だったんだろう。